四月馬鹿
 エイプリルフールB


「黒たん、オレ赤ちゃん出来たみたい。今三ヶ月だって」
「そりゃ間違いなく俺の子じゃねえだろ」
「黒みゅー先生、エイプリルフールだよぉ。そんな冷静につっこまないでよー」

エイプリルフールのお約束
その1
ついてもいいのは罪のない嘘だけ。
その2
嘘をついていいのは午前中だけ。

「…ってお前言ってたよな」
「すごーい。よく覚えてたねえ」
いい子いい子と頭を撫でる同僚へ体育教師は噛み付いた。
「今のがどこが罪のない嘘だっ!!」
あはは、と軽やかに声をあげて笑う化学教師に悪びれる様子は全くない。
正午を知らせるチャイムが鳴る。
「もうお昼だねー」
昼食をとるために移動する生徒の声を聞きながらファイも持参した弁当をいそいそと取り出す。二人分の食事はかなり多い。
黒鋼はまだ色々と言いたいことはあったのだが、これから昼食を相伴に預かる立場としては今は一方的に強くも出られないでいた。
「午前中じゃなくなったねぇ」
「当たり前だろうが」



「三ヶ月じゃなくてまだ二ヶ月になったとこなんだ、赤ちゃん」

黒鋼の手から湯呑みが滑り落ちた。
身に覚えはありすぎた。


冬にはお父さんだよ、とファイが幸せそうに笑うから。気の利いた言葉一つ浮かばない自分を忌々しく思いながら目の前の体を抱きしめた。


 六月の花嫁


「貴方達結婚式はしないの?」

理事長は先日結婚報告とともに産休の申請を出した化学教師を見つめた。まだ平らなお腹には既に宿る命があり、その父親がぶっきらぼうながらも律儀に付き添っていたのは微笑ましいことだとも思う。

だがそのこどもの父親ときたら、結婚式はと尋ねた侑子に
「どっちも係累がいねえんだから、必要ないだろ」
などと女心の分からぬ発言をしていた。

いっそ学園ごと盛り上げてもいい、と面白半分、残りは若干の悪戯心と祝う気持ちとで、侑子はファイに結婚式がしたくないかと問うた。

「しましたよ?」
小首を傾げて不思議そうにファイは答える。
あら、と侑子は目を見張った。
「初耳だわ、いつ?」
結婚相手のとりつくしまもない態度とは真逆の答えに侑子は食い付いた。
先週の日曜日に、とファイは言うが、二人にそんな素振りはちっとも見受けられなかったのだから。
納得のいっていない侑子をよそにファイは日曜の『結婚式』を語り出す。


「黒様のご両親のお墓とオレの家族のお墓に行って、結婚のことと赤ちゃんのことを報告して…」


ふ、と不自然に途切れた言葉を侑子が怪訝に思い、ファイの顔を覗き込んだ。

笑顔を絶やしたことのない化学教師の微笑みなど見慣れていたはずだった。けれどその時の表情を見ることが出来るのは後にも先にも、きっとこれきりだろうと思う。
否、一人だけこの顔をこれから先も独占出来る人間がいる。


「…指輪くれて…皆に、大事にするからって言ってくれたんです」


普段からけして語彙の多い男ではない上に、愛情表現のそれとくれば皆無に等しいだろう。
その唯一の誓言が、既に黄泉路を辿ったとはいえ互いの最も大事な家族の前で行われた。偽りなどあろうはずがない。
同時にあの男がたったこれだけを言うのに、どれだけ苦心したことか。
「そう、いい結婚式ね」
分かるだけに急速に自分の考えがつまらないものになってくる。

「あたしの方が無粋だったかしら」
たったひとつの誓いだけの結婚式が、ファイには何より幸せだったのだから。
花嫁衣裳やブーケでは、手に入れられない幸せをあっさりと与えた男に負けたような気になるが、それが心地よいのも不思議だった。



「おめでとう」



幸せにおなりなさい。


愛の言葉には勝らずとも、ありったけの祝福の言葉を。


 幸せの芽


「今度の定期検診で男の子か女の子か分かるってー」
どうする?と首を傾げて窺うファイに黒鋼は「別に構わねえ」とぶっきらぼうに返した。
が、自分でも思うところがあったのか、あー、と唸ると決まり悪げにファイに視線を寄越す。
「あのな、どうでも良いっていう意味じゃねーぞ。
…お前と子どもに何もなけりゃそれでいい」
「うん。じゃあ産まれるまでの楽しみにとっておこうねー」

服の上からではまだ膨らみの分からないお腹をファイが愛しそうに撫でる。
世の新米の父親同様、胎児を直接感じることの出来ない黒鋼はそのほっそりとしたその体に本当に人間が入っているのかと、ことあるごとに不思議になるのだ。
「お前悪阻はもう大丈夫なのか」
いっそ食が足りてないせいかと心配にもなる。
ひどい時には水分補給がやっとで、本人の希望に反して離職を早めざるを得ない事情もあっただけに、内心気が気でなかったりもするのだ。

「大丈夫だよー。もう悪阻の時期も終わってるんだし。
あ、でもお医者さんには怒られちゃったやー」
「どうした」

「旦那さんが甘やかし過ぎだって。
旦那さんが優しすぎると奥さんがそれに甘えて悪阻ひどくなることもあるんだって」
迷信かもしれないけど、オレの場合は大当たりだよー、などと。
あれだけ辛そうだった悪阻さえ、幸せそうに言われてしまって。両の腕を細い肩にぐっと回した。
「慣れろ」
「だからもう悪阻は終ったってー」
くすくすと忍び笑いを漏らすファイはとうに言葉の真意など見通しているのだろう。

もっと大事にしたいから慣れろ。

強く思えば、願いが掌から体に流れ込むような気がした。


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