学園モノ
 世界の中心でとは言わないが叫ぶ場所は選ばないと大問題


体育教師黒鋼×女子高生ファイ



「校内はアクセサリー禁止だ。没収」
「あ、ダメっ!」

服装検査実施中の朝礼でひときわ響き渡るのは、体育教師と一人の女生徒の声。特に女生徒の声は切迫しており、近くにいた生徒はこぞって何事かと振り返る。
そこには大柄な体育教師に襟首を掴まれて、猫のようにジタバタともがく生徒がいた。
校内での不必要なアクセサリーの着用は原則禁止されている。少女の左手指には、たしかに指輪が填められていて、それを見咎めた教師と揉めているようだ。
校則違反には違いないのだが、ゆうに二回りほどは違う体格の体育教師に対抗する少女は健気ですらあった。
遠目からでもその金の髪はよく目立つ。
混血のファイは、金髪碧眼という異色な色を纏う。
環境によっては異端と捉えられることもあったかもしれないが、この学園の大らかな校風ゆえか、あまり気にとめる生徒はいない。加えて本人の持ち前の朗らかさから校内でも人気と信望があった。
一方、厳しいながらも頼りがいのある体育教師、黒鋼は初見で必ずと言って良いほど敬遠される強面なのだが、何故かそのファイになつかれてしまっていた。
「黒たん先生、お願いー」ファイは体育教師のジャージにすがりついて懇願する。
しゅーん、と下げられた眉。可哀想になって、多数の生徒は体育教師が怖いながらも内心「指輪くらい大目にみてあげて」と考えてしまう。
細っこい見てくれとは裏腹に、案外あきらめの悪いファイは最終手段を持ち出す。否、実を言えばすでに最終手段は開始されていた。
「それ、旦那様にもらった大事な結婚指輪なのー」
ぴくり、と体育教師の肩が動いた。

爆弾発言に固まる周囲に罪はない。
ただの指輪ではなく「結婚」指輪。要するに、既婚者。
確かにファイは婚姻可能な年齢だったはずだが、それにしたって若すぎるというものだろう。
悪い冗談としか思えない発言に生徒たちの頭の回転はついていけない。

「…結婚指輪を学校にしてくんじゃねえ」
こめかみを押さえながら唸るように声を絞りだした黒鋼を、ファイはキッと睨んだ。
「だって…」
徐々にうつむいていく顔に前髪が落ちて表情が分からなくなる。
「じゃあ黒様がちゃんと指輪してよッ!」
「…ッ!」
泣かせた?と心配するギャラリーの予想とは裏腹にファイは強気な態度に出る。が、その言の意味するところはさっぱり伝わらない。
約一名を除いては。
その例外一名。明らかにぎょっとした黒鋼がファイを黙らせようとしたが、一瞬遅く、紙一重でひらりと細い体が捕獲可能な間合いから逃げ出した。
「黒様顔怖いけど悪いってわけじゃないから、女の人から飲みに誘われるし、メアド聞かれるし、粉かけられてるし、優しいし責任感あるから、女の子にこっそり人気あるし、コクろうかとか言ってる子もいるし…」



オレの旦那様なのに。





数秒の奇妙な静寂の後、悲喜こもごもの悲鳴が一斉に唱和された。
無論、悲痛な叫びは主にファイに好意を寄せていたり、こっそり黒鋼を慕っていた生徒からだった。

壮絶なBGMをまったく意にも介さずファイは黒鋼を見つめる。
「お誘い全部断ってるのも、オレがまだ学生だから黒様が大事にしてくれるの知ってるよー。でも何も言えないの嫌だよ」
泣きはしないものの、すん、と涙を耐えるように鼻をすすってファイがぽつりと言った。
「ちゃんと指輪してもう売約済みだって宣言してよー」
衆人環視をものともせず、細い指がジャージをキュッと握る。
勘弁してくれ、と漏らした声は不憫極まりなかった。無論その不憫さと差し引きしてもありあまる幸せと羨望を誰も不幸だなどとは思ってくれなかったが。




結局。
武骨な指に銀色のリングが光るようになったのはそれからすぐ後のこと――。


 薄着


体育教師黒鋼×女子高生ファイ



「黒様先生、見て見てー。
夏服可愛いでしょお?」
「明日までにスカート丈直してこい」
「え〜!嬉しくないのー?
女子高生のミニスカ生足だよぉ?」

「毎年何人の夏服見てると思ってるんだ。
発育不良の未成年をいくら眺めたって嬉しくねえよ」

「…黒たん先生つまんない男だって言われたことない?」


 NOT恋愛至上主義


からからと保健室の扉が開いた。消毒液と薬の匂いが風の流れに揺られる。

「あーら?随分と男前になったわねえ」
保健医でもないくせに保健室に何故か居座る壱原女史は、入学以来この部屋の常連となっている男子生徒達の顔を見とめ、けらけらと笑った。
「うるせえ…」
憮然と返される声も言葉遣いも目上の人間に対するそれではなかったけれど、壱原は気にしない。
「ゆーこせんせ、氷くださーい」
裏腹にいつもはもっとのんびりとした声が、今は少々早口でまくしたてるようにその隣から聞こえる。
短い黒髪に赤い瞳なのが黒鋼。
柔らかそうな金髪に蒼い瞳がファイ。
最初から対で存在するように対照的な二人が保健室の常連となってはや一年半。そろそろその感覚も間遠になってきたとは言え、深刻な病気や怪我を抱えているというわけではない。
剣道部に所属する黒鋼は怪我の可能性がないわけではないが、何より健康すぎるほどに健康体であるし、幼い頃から武道を習っているために怪我や体調管理に対する意識は一般の人間よりもしっかりしている。
細身のファイも、どうしようもない日本の湿度の高い夏場に暑気あたりをおこす以外はまったくの健康優良児である。
彼らが保健室を利用する理由は現在ひとつだけ。

平手で叩かれたと思しき、黒鋼の左頬。




今年に入って、否、入学してから若干不定期ではあるが毎月の恒例行事のように教室で繰り返されるのは痴話喧嘩にもならない一方的な修羅場。
少々の言い争いはこの年代特有の喧騒に掻き消されてしまうとはいえ、大声を出せば騒ぎの中心にいる人物二人がそれなりに人目を引く容貌であるのは確かだ。
華やかで整った顔立ちの少女がファイに食って掛かっている。
今のところファイの彼女だ――。
ファイは心底困った顔をしている。
遠目にそれが確認出来た時、黒鋼は剣道場にとって返したくなった。しかし自分のクラスであるし結局戻らなければいけないのだ。ついでにファイと相手の揉め事も先延ばしにすれば余計拗れて自分に降りかかってくるであろうことも分かっていた。
高校に進学してから確実に溜息の量は増えている。


教室に一歩入るなり、ファイがこちらに気づきその表情を緩める。ついでに相対する少女はその反対にきっと睨みつけてくる。
見てくれの良さと人当たりの良い性格ゆえに女子から人気があるファイは、良く女子に告白された。
ただ、表面的な優しさしか見えていなかったり人間関係を円滑にするための距離からその奥に、無遠慮に踏み込んでくる相手は思いも寄らぬガードの固さに驚き、困惑する。問題はその後、諦めるのではなく怒りだす人間もおり、概ねそれはプライドの高い人間だったということだ。
何故かファイが身内以外で懐いているのは黒鋼で、恋愛に逆上せ上がった女子よりもファイ本人が黒鋼のくっついていることが多いため、交際期間が長くならないうちに相手とよく揉めた。
同性と異性、しかも友人と恋人が同じ天秤にかけられるわけがないだろう、とその寒々しさに笑いたくなるが正直笑えない事実がある。
側で見ている分には、今回も選べもしないニ択の解答を迫られて困っているように見えた。
だが、付き合いの長いだけに黒鋼にはファイの困り顔の理由など手に取るように分かる。何と言えばいいのか分からないのではない。正直に言ってしまうと少女のプライドや面子を傷つけることになるから躊躇っているだけで、答えなど端から決まっている。
「男友達とあたしとどっちが大事なのよ!」
さすがに幾人かの視線が向けられるが、悲しいかな、すでに「またか」といった程度の関心しかないらしい。
整えた眉をつり上げて睨みつける少女の姿に、せっかく綺麗に仕上げたメイクも台無しだな、などと心の中で冷静に突っ込む。
少女の剣幕にファイがいつもよりも眉を下げて、しかし間髪いれずにきっぱりと言い切った。

「黒鋼」

分かっていた。分かってはいたが――。
お前いい加減にしろよ、と頭が痛くなる黒鋼だった。
少女の目は大きく見開かれ、丁寧にマスカラで伸ばされた睫毛が震える。
濃い目のピンクに塗られた唇がぎゅっと引き結ばれるのをみて、黒鋼は次にくるであろう衝撃を覚悟した。






「何で俺が殴られなきゃいけねーんだ」
「ごめんなさーい」
一応悪いとは思っているらしく、ファイは殊勝に頭を下げてくる。
黒鋼の左頬はうっすらと赤く腫れている。タオルで包んだ氷で冷やしたおかげと、そもそも少女の腕力がそれほどではなかったせいもあって徐々に赤みも薄れてはいた。
八つ当たりだ、と黒鋼は思っているがファイに「友人以下」と宣言された元カノたちの怒りの捌け口は振った当の本人ではなく、何故か黒鋼に向かう。よほど頑丈にできているとでも思われているのか。(確かに並よりは頑丈だが)
過去幾度も繰り返されたこととは言え、殴られて嬉しい人間はそもそもいない。しかも一番の原因は他人にあるのだからなおさらだ。
「でもちゃんと最初に断ってるんだよ?そういう意味で好きじゃない子とは付き合えませんって。
でもいっつも『好きじゃなくてもいいから』とか『おためしのつもりでいいじゃない』とか言われるんだよぉ。
そりゃオレだって女の子は好きだけどそういう好きじゃないのにー」
もてない男が聞いたら噴飯ものの台詞をさらりと吐くが、整った容貌であるだけに恐ろしいほどそれが似合う。これを叩くには相当勇気がいるだろうということは簡単に想像できてしまう。
おまけに日本人の黄みを帯びた肌とはまったく違う白い肌では平手打ちの痕は余計に目立ってしまうだろう。
「断っても断っても通じなくて、仕方ないからそのうち飽きてくれないかなぁってつきあっちゃうんだけど、そうしたら今度は自分のモノみたいに扱われるしさー。
もう嫌だー、黒様と一緒の方がいいー」
駄々っ子のようにしがみついてくるファイの様子からすれば、へらへらしてるくせに何か溜め込むものもあったらしい。わりと真剣に落ち込んでいるファイを見るとそれ以上責める気も失せてくる。
異性への興味は多々あれど、自分たちの年齢から考えれば同性の友人とつるんでいる方が盛り上がるし気が楽なのも確かだ。
もういい、とため息を吐く。少ないとはいえ黒鋼も過去に付き合っていた相手に同じようなことを詰られ、別れた後にホッとしたのはファイの顔を見た瞬間だったりしたからだ。
(もうしばらくはこのままでもいいか)


幸か不幸か「貴方たち二人でつるんでる限り彼女なんて必要ないでしょうに」という壱原女史の心の呟きは聞こえなかった。


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