堀鍔学園
 文化祭後妄想


理事長の提案と、本気か悪ノリか、喜々として自らメイド服を着込んでいた同僚に振り回された文化祭は、どうにか無事に終了した。
…したと思いたい。

「はあい、メイドさんっぽく晩御飯はオムライスでーす」
「着替えろ」



文化祭の最後の盛り上がりを終えた校舎は昼の姿とは変わり、その巨大な体内はがらんと静けさで満ちている。
祭りの片付け後の見回りはいつも以上に遅い時間で、今まで目に馴染んで記憶していた風景よりも暗がりに落ちる影が深い。
昼間の喧騒を思い出しながら、手元の懐中電灯を頼りに見回りを終えた黒鋼は宿直室の扉を開けた。
そして冒頭に戻る。
校舎の反対側を回っていたはずの化学教師がまたぞろメイド服を着用していた。

がっくりと頭を落とし、肺から大きな息を吐く。
この化学教師と出会ってから自分のため息の量は確実に増えていると黒鋼は思った。

「ため息ばっかりつくと幸せが逃げちゃうよぉ」
「誰が逃がしてると思ってんだ」

ため息をついた途端、忘れていた疲れと空腹が同時に襲ってきて、今更ながらに慌しい一日だったことを自覚する。
首を回しながら腹減った、とぼやくとふんわりと裾の長いスカートを揺らしながらファイが宿直室の机の上を即席の食卓に整える。
だが、昼間と同じくふざけた格好といい、明らかに悪ノリの延長のメニューといい、どう見ても半ば嫌がらせに近い。
「はい、オムライス。ケチャップでハートかいたげるーvそれとも黒たんLOVEの方がいい?」
「いらん。どっかで…」
「だって学食は閉まってるしお店ももう終ってる時間でしょー」
「…コンビニ行ってくる」
にっこりと。
ファイの人好きのする笑顔を、皆は親しみやすい教師だと評する。だがしかし、他の人間よりもほんの僅かにせよ、ファイに近い場所にいる黒鋼には食えない笑顔にしか見えない。
「あのね、今日の宿直は君とオレの二人。職務放棄はだーめ」
一応の正論。
それでも、躊躇する黒鋼の腕を逃がすまいとファイは両腕でがっしりと抱きつく。
「せっかく作ったのにー。まだ温かいんだよー」
料理の腕の良さは隣室のよしみで何度か相伴に預かった経験から知っている。
それを知ってなおかつ黒鋼が躊躇しているのは、自分に好意を寄せていると公言して憚らない相手の真意を勘繰ってしまうから。
そうして自分に好意がある相手だからといってそこに甘えていいものかと律する自分がいる。そういう生真面目さが好きなのだとファイは思っているのだが。
なかなか是と答えない黒鋼に痺れを切らしたようにファイがむう、と眉を寄せる。



「黒様、食べ物粗末にしちゃいけませんー」



本日一番の正論。
幼少時より両親にきちんと躾けられた我が身が若干恨めしい。
零されたため息は了承の合図に他ならなかった。


「黒様市販のケチャップの甘すぎるから嫌いでしょ、スパイス入れてちょっと調整してみましたー」
どうかな、と珍しく遠慮がちに上目使いの蒼い瞳が聞いてくる。
いっそそんな気遣いが一切ない、本当に揶揄うためだけだったら断りきれるのに。
そう思いながら一口また一口、口へと運ばれるスプーンの速度は鈍らない。


 温泉


「黒みゅう先生、今度のお休み温泉行こうよぉ。泊まりがけで」
「弟と行ってこい」
「うん、ユゥイも一緒だよ。だから三人で」

「…手頃な温泉が分かんねえなら、理事長にでも聞きゃいいだろうが」
「だって侑子先生御用達とか推薦って、マニアックか超高級リゾートって気がするんだもーん」
「…確かにな」
「ユゥイが行きたいのは普通の温泉なんだってー」
「弟の方か」

「うん、一回日本の温泉でお風呂あがりに浴衣着て卓球がしたいって」
「…」
生粋の日本生まれの日本育ちにはお約束すぎて、今さらそれを実行している人間がいるのかも黒鋼は知らないが、外国人から見れば気になる文化なのかもしれない。
何はともあれあまりにもささやか過ぎる願望と、それを叶えてやりたいといういじらしい姿にほだされていた。


 夕食


「やだ〜!ユゥイ〜止めようよぉ!」(涙目)

「でも食材なら料理人として一度は口にして味を確かめないと…」(真っ青)

「んな身構えて食うもんじゃねえだろうが」

「…!ダメー!
ユゥイ食べちゃダメー!」
「…。
あ、案外おいしい」


「酒の肴に合うぞ。大体騒ぐようなもんでもねぇだろうが」


【ナマコ】


「無理だから!そんなグロテスクなもの!」(涙目)


 割とスパルタな弟


「黒様に殴られた…」
「は?」
「黒むーがいつか結婚しちゃっても、オレ愛人でいいから側にいたいな、って言ったら殴られた…」
「…もう四、五回殴られといで」


 馬鹿っぷる


「…黒たんに頭撫でられた」
「どうしたの?」
「黒様が他の人と結婚したら黒様殺してオレも死ぬねー、って言ったら頭ぽんぽんってされた」
「…良かったねー(こういうのを馬鹿っぷるって言うんだろうなあ)」


 日本語勉強中


『情けは人のためならず』

「『情けをかけるとその人のためにならない』っていうのは間違いで正しい意味は『他人に施した情けは巡り巡っていつか自分に返ってくる』だよねぇ」
「なんで一番小難しいとこは合ってるんだ。
じゃあ次は」

『人の噂は』

「…四十九日?」
「違えよ。勝手に短縮すんな」


 下ネタ(妊娠疑惑シリーズ1)


「言っとくけどオレは被害者なんだからね!
いきなり押し倒されて襲われそうになるし。
いくら教え子だって言っても相手は加害者なんだから貞操の危機の自衛に必要な反撃しただけだもん」

「だからどこをどうやったら加害者が再起不能になる反撃が出来るんだ」

「オレ手は出したりとか暴力沙汰には訴えてないよ。
ただ…彼がヤル気満々で脱いだ時に思わず

『ごめん、悪いんだけど今更そんなのじゃあ満足出来ない、無理』

って素で言っちゃったんだよねぇ」

「…おい」

「だって経験もテクニックもサイズも乏しいくせに、勢いだけでどうにかしようと思ってる人間相手にするほど日照ってないよ」


 下ネタ2(妊娠疑惑シリーズ2)


「先生!オレ前から先生のことが好きだったんです!」

「え…(だからっていきなり押し倒しても構わないわけじゃないでしょー)」

「先生はオレのこと、どう思ってますか…」

「そ…れは…(童貞相手は面倒だなー、と思ってます。
いやいや、普通に考えようよ、教え子の一人以外にどう思えっていうのー)」

「…答えてくれないのは、黒鋼先生と付き合ってるからですか」

「…(はい勿論)」

「…っ!なんで何も言ってくれないんですか!
オレの方がファイ先生のこと…!」

「(うーわー、やっぱり無理矢理する気だー。
)
だ、駄目!(あのねえ、オレは黒様以外とそんなことしたいなんて欠片も思ってませんー)
オレ…(いきなり襲いかかるくらい動揺してるなら多分引っかかるよねー)

今三ヶ月なの」

「…え?」

「お腹に黒鋼先生の赤ちゃんがいるの…(大嘘)」





「お前、生徒に何を吹き込んだ」

「願望を余すところなく語っただけなんだけどー。
まさか皆信じちゃうなんてねえ」


 たまごくらぶ (妊娠疑惑シリーズ3)


「「先生おめでとうございます」」

サクラとひまわり、受け持ちの女生徒二人が声を揃えて差し出した淡いピンクの包装紙の包みを、思わず受け取ってしまったファイは首を傾げた。
妙な見返りを要求されない限り、プレゼントは年中無休で受付中だがあいにくと誕生日でもなければ祝い事があった覚えもない。
これは何かなあ、と呑気に考えていたファイに無邪気さゆえの凶悪な爆弾が投げつけられた。

「赤ちゃんいつ生まれるんですか?」
「…」

(あれか――!)
内心の絶叫を鋼鉄の笑顔の仮面で押し隠す。



数日前、生徒に襲われかけたファイがその場を逃れるために口にしたでまかせが「お腹に黒たんの赤ちゃんがいるのー」だった。
なんと言おうか、まあ。自業自得。

くらくらと目の前が真っ暗になりながら、体育教官室に駆け込んで事の顛末をもう一人の当事者に教えた。
プレゼントの中身は可愛らしいベビー服。男でも女でも着せられるように柔らかなクリーム色の布地は見ているだけで心がほっこりと幸せになってくる。
何足もの小さな靴下は手編みらしい。そういえば最近四月一日が休み時間中にせっせと編み針を動かしていた。

生徒達が一所懸命考えた末のことだと分かるから怒るに怒れず、黒鋼の眉間の皺はいつもより深い。彼もこの善意の塊をどう扱うべきか困惑しているのだ。

「どうすんだよ」
「こうなったら『造る』しか…!」
「今の確実に字が違うだろ!
大体お前がヘラヘラろくでもねえことばっか言うから…!」
「えーん、ごめんなさぁーい。
謝るから怒んないでよぅ…」
「ったく…」
「スーパーの桃買い占めたらどれかに赤ちゃん入ってたりしないかな…」


頭を抱えて悩む教師二人。
果たして頼るべきは保健医の怪しげな薬か、魔女の謎めいたコネクションか。


 愛の証 (妊娠疑惑シリーズ4)


「これがオレと黒たんの愛の結晶です」


『ニャー』
『みぃ』


「どっから拾ってきやがった!
教員宿舎は動物不可だろうが!」


険しい顔の体育教師とは裏腹に、すっかり化学教師の腕で寛ぐ黒白仔にゃんこを生徒たちは
(似てなくもないよな)
と眺めていた。


 子×14


「にゃあ」
「みぃー」

黒白毛玉が二つ。
つぶらな瞳で飼い主(予定)達を見上げている。


「黒りん先生ったらー、この子たち飼っても良いでしょー?
侑子先生も良いって許可してくれたんだし」
「…好きにしろ。俺は面倒みないからな」
「もう〜、黒様ったら。
冷たいお父さんですねー」「誰が父親だっ!」

反射的に突っ込む黒鋼だが、そんなことを気にする化学教師ではない。

「そうだ。名前決めなきゃ。
夏だし涼しげなのがいいよね」

涼しいの涼しいの、と口の中で反芻するように転がしていたが、何か閃いたらしくポン、と手を打つ。

「『めんつゆ』と『そうめん』は?」

「…」
「…」
「…」



結果。
黒白仔猫二匹は「面倒をみない」と宣言した黒鋼の背に隠れて当分出てこなかった。
ついでに付け加えるならば、二匹はサクラと小狼によって『ごま』と『ミルク』という比較的無難な命名がされた。


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