堀鐔学園 |
もしもの芸術祭
「Wish」の『あの人たち』のネタです。 「Wish」未読の方にはネタバレとなる展開ですのでご了承の上でお読みください。 「どうするの、芸術祭で何をやるのか決めてないの黒鋼先生だけよ?」 「…げ(今思い出した)」 「はーい、侑子先生ぇ。オレから提案でーす」 「なあに?ファイ先生」 「オレと黒様先生で生徒に『愛ってとっても偉大』と教えてあげられるような劇なんてどうでしょうかー」 「ぜってー、やらねえ」 「まあ、いいわねー。 そうよねえ、教育者たる者生徒に愛の偉大さを体を張って教えるくらいでなきゃ。 というわけで…はい、台本」 「なんで既に用意されてんだよ!」 「まあまあ、黒りんせんせー。読むだけでも読んでみてよぉ。 でも良い話だと思うんだけどなあ?天使に出会って愛が芽生えちゃう悪魔のお話」 「…ちょっと待て。この暗転シーンはなんだ」 「「濡れ場」」 「誰がやるかぁっ!!」 「えー!ラストは神様に逆らって駆け落ち逃避行なのにー」 「浪漫の分からない男ねえ」 夏の恐怖
学期末試験の採点も終わり、久しぶりに黒鋼はファイの部屋を訪れた。空調の効いた涼やかな空気はほのかにラベンダーの香りがする。 ルームフレグランスにでもこりだしたのかと思って聞くと化学教師はいつにない真摯な眼差しでこう宣った。 「ラベンダーにはね、防虫効果があるんだよ」 その言葉に、そろそろ活動を本格的にするであろう黒光りする例の生き物を思い出した。 ついでに去年はその黒光り生物が出没するたびに緊急呼び出しを受けた迷惑千万な日々も。 花の芳香漂う室内は黒鋼には少々落ち着かないが、それで無用な呼び出し回数が少なくなるならそれにこしたことはないのだ。 化学教師は例の生き物が大嫌いだった。 互いの被害軽減のため、今夏はラベンダーの香りに包まれて過ごすことが無言のうちに決定した。 猫の爪あと
その日、通勤してきた体育教師の頬には赤く二筋くっきりと並んだひっかき傷。 痴話喧嘩かと盛り上がった生徒・教職員に体育教師は黙殺で答え、化学教師が慌てて「オレの誤解だったんです〜」と弁解していた。 「ごめんねー」 見るからに痛そうな爪痕をおそるおそるファイは撫でる。 触れられると、ちり、と痛みが走るのだが黒鋼はファイのしたいようにさせた。 昨夜、黒鋼が浮気していると勘違いしたファイが打った頬は、平手の後にかすめた爪がその表皮を裂いていた。 無論やましいことなど無く、飲食店で偶然教え子の姉と同席しただけなのだがそれをどう伝え聞いたのやら。 半ば以上本気で別れることさえ覚悟していたファイは、ようやく誤解だと分かった時はホッとしたあまりにその場で泣き出した。 珍しさと泣かせてしまった後悔とで、一晩中ファイをなだめるのに終始した黒鋼は当然自分の傷口に頓着するはずもなく、今朝になってようやく自分が怪我をしたことに思い到る。 「怒ってる?」 「怒ってねえよ」 「じゃあ呆れてる?」 「もう少し信用しろ、とは思ってるな」 生徒の家族相手に全部妬かれては身がもたない。 けれど。 「お前には妬いたり怒る権利があるだろう」 「…でも、重くない?」 「そういう束縛も込みで付き合ってんだろうが」 「…そっかあ」 そうか、と何度も何度も繰り返す。徐々に瞳に安心したような色が広がる。 いつだって気ままに自分本位に擦り寄るポーズを見せるくせに、いざとなると甘えたり深い部分に踏み込むことに怯えるファイを黒鋼は根気強く待った。 その蒼が落ち着いたのを見とめ、宥めるようにさらりと淡い金色の髪を梳く。 大きな掌に甘やかされているのが分かったファイがごめんね、ともう一度小さく囁いて、傷口に唇を寄せ、ちろりと舌で舐めた。 七夕話その二 堀鐔設定
お祭り大好きな理事長の性格を反映してか、学園の年中行事は恐ろしく多い。 無論それに伴い監督をする立場の教師の負担も増えてくるわけだが。学期末の試験に響いたらどうする、と内心毒づきながらも、生徒たちの楽しそうな顔を見ると息抜き程度なら…と思わないでもない。 「黒ぴー先生ー、笹どこに置くのー?」 けして背が低いわけではない化学教師ですら持て余す特大サイズの笹を受け取り、中庭に面した廊下の柱にしっかりと括りつける。少々のことでは倒れてこないように固定された笹が風に揺らされて、さやさやと葉が歌う。 「お仕事かんりょーう」 ぱちぱちーと手だけでなく実際に声で拍手を表す化学教師の反応はあっさりと無視された。 「六月から出す意味あるのか、これ。新暦でも早すぎるだろう」 「侑子せんせーが『皆がじっくりお願い事考えられるように』だってー。早すぎるー?」 「うちの実家の七夕は旧暦でやってたからな」 「旧暦?じゃあ七月にはしないのー?」 「詳しく計算したらまた違うんだろうが…旧暦と新暦じゃ大体ひと月違うからな。七夕飾りなんかを用意すんのは月遅れの八月だった」 行事でも地域によって違うのだと言う黒鋼の説明に、へえ、とファイは感心したような声をこぼす。当たり前のように受け入れていた事柄の違う側面を知るのは純粋に知識欲として楽しい。 「黒様ー、旧暦ももう一回笹飾って短冊書こうよ」 「ああ?」 なんでそんな面倒なことを、と目で語る黒鋼にファイははにかむように笑った。 「え、と…あのね」 子ども騙しかもしれないけどねー、と前置きしたのはかなり照れているせいだろう。 「織姫を彦星が二回逢えるような気がするから」 一年に一回しか逢えないのは寂しいよね、と言ったファイがそっとジャージの裾を握るのを黒鋼は止めなかった。 七夕話その四 堀鐔設定
七夕伝説と羽衣伝説がくっついてるヴァージョンもあるんだねー。 最近季節の行事の由来や説話を調べるのに熱中していた化学教師が面白そうに言う。 地上で水浴びをしていた天女の羽衣を隠した男が天女を娶るが、やがて隠していた羽衣を見つけた天女は天へと帰っていく。 羽衣伝説、と聞いた黒鋼もそう間を置かずにあらすじを思い出せるくらいメジャーなおとぎ話だ。ファイの言うところによれば羽衣伝説に類似、類型の話は世界各地に残っているらしく南米あたりにも同じような話が残っているらしい。 何故伝聞調なのかというと、聴きもしないのにファイが黒鋼に話して聞かせるからなのだが、下手に遮ったり無視すると後から無いこと無いこと吹聴される恐れがある。 故に適当な相槌を打つ体育教師だが、学習意欲旺盛な化学教師は相槌がどんなに適当でも反応があるので気にならないらしい。 図書館で借りた分厚い民話事典を読み進めながら黒鋼の背中にもたれかかっている。 「でもその場で初めて見た相手と結婚しようだなんて何考えてるんだろうねー。羽衣を盗んででも奥さんにしたいくらい美人だったのかな」 「まあ、天女だっつーから美人だったんじゃないか?」 「うん、でもねこの場合彦星も手緩いと思わない?窃盗までやらかしてゲットした奥さんなのに、あっさり見つかるようなところに羽衣隠して挙句に逃げられちゃうなんてー」 「おとぎ話にケチつけんな」 「何言ってるの!?本当に相手を物にしようと思ったら羽衣を燃やすなり売り払うなりして、証拠物件を完全に隠滅しなきゃ」 「鬼かお前は」 力いっぱい主張する化学教師の発言に、夏なのにうっすらと寒さを感じる体育教師だった。 土用丑の日
「今日はちょっと奮発しちゃいましたー」 語尾にハートマークがつきそうな勢いでファイが食卓を示す。 うな丼、山芋のあんかけ、おくらのおかかまぶし、鴨の燻製とレタスのサラダ、しじみの味噌汁。 丁寧なことに冷えた日本酒まで添えられているとあって、黒鋼は内心感嘆した。 ファイの次の言葉さえなければ。 「最近ご無沙汰だったから今夜はよろしくーv」 はい、ご飯の前にこれ飲んでー、と手渡されたのは『すっぽんドリンク』。 くらり、とめまいがした。 爪切り
「黒様は爪切りはパー派なんだね」 「いや、意味が分かんねえよ」 軽やかにぱちりと音をたてて爪が切り落とされる。 爪を切る黒鋼の手元を覗き、自分の手をにぎにぎと開いたり閉じたりしながらファイは言う。 「爪を切るときに手をパーにして開いてる人は、小さい時に親や家族に切ってもらってたことが多いんだってー。 オレはねー、気が付いたら自分でしてたから手はグーになるんだよー」 ほらほら、と爪を切る動作をするファイの手は、ごく自然に丸まっていた。 その指先には形の良い爪がおさまっている。 「こい」 「?」 「伸びてんだろうが」 「切ってくれるのー?」 強引に自分の足の間にファイを座らせてその手を取る。 ファイも引かれるままに大人しく、黒鋼の胸にぽすんと背中をあずけて納まる。 「よく分かったねー」 ぱちり、と指先を金属の感触と自分以外の体温が撫でていく。開いた手の平の隅々までも丁寧に扱われるのは素面ではなかなかに恥ずかしかった。 「昨日」 「?」 「散々人の背中に爪たてたろうが」 「!」 ぱちり。爪を切る音に子供扱いされているのか大人扱いされているのか。 背後から響く声に乱される頭では、もう分からない。 枕はない
生徒たちの時間を凍りつかせたある日の化学教師と体育教師の口喧嘩の顛末。 「そんなこと言うんだったら、これから一年間一緒のベッドで寝てあげないんだから!」 そして。 直後、体育教師に無言で口を塞がれ、引きずられていった化学教師がどうなったか。 誰も知らない。 有り得ない/役所のお兄さんは遊人さん
「ごめんなさ〜い。 おふざけだったのー。 まさか正式に受付されるとは思わなかったんだよー」 「…ぜってえあの魔女が裏で糸引いてるだろ」 「だって侑子先生は理事長だし〜。 学園内で出来ないことはないんじゃないかなぁ?」 「だからってなんで男同士の婚姻届が通るんだよ!有り得ねえだろ!」 「役所のお兄さん笑顔で受理してくれたよ」 ことつくしてよ
「黒様は嘘つかないけど、絶対的に言葉が不足していると思うよー」 と言うわけでこのお手紙を読んだ上で決心が固まったら来てね。 そう言って化学教師は飾りけのない白い封筒を渡すと、止める暇もなくパタパタと駆けて行ってしまった。 取り残された体育教師は次の休みの予定を聞こうとしていただけで、何が何やらと困惑する。 わけ分かんねえ、と一人ごちながら押し付けられた封筒を開くと、中の便箋には少しだけ右に傾く癖のある細い文字がただ一行。 遠回しなんだかストレートなんだか分からない相手のやり方に溜め息がこぼれるのはどうしようもなかったが、大会や合宿で慌ただしかったここ最近、急な約束の反古にも笑って応えていたファイがようやくぶつけてきた我が侭だと思うと放っておく気にはなれない。 『恋ひ恋ひて 逢えるときだに 愛しき 言つくしてよ 永くと思はば』 何を言って欲しいかなどと、分かりやすい程に分かりやすく、かつ難題な要求に黒鋼は頭をガリガリと掻いた。 |