のばら |
のばら
何故か放課後の教室に鍵がかかっており、黒鋼は首をかしげた。 部活に出ている人間が大半だとは言え、この時間帯ならまだ鍵を返しにいくには早すぎる。 少々乱暴に扉を叩くと中から「誰?」と誰何される。よく知った相手が中にいることに拍子抜けしながら名乗ると、程なくして鍵をはずす音がし、扉が開けられた。 目元を赤くして、今にも泣き出してしまいそうになっているのは幼なじみで。 その姿をよくよく見れば、制服の胸元が引き千切られかけたように乱されているのに気が付いてギョッとした。 とっさに着ていたジャージの上着を被せる。 「黒たぁん…」 情けない声だったが、少し安堵したらしく涙をこぼすことはなかった。 ひと月ほども前の話になる。 幼なじみが珍しく神妙な顔をして校内の先輩に告白された、と相談してきたのは。今までだってファイが告白されたことがないわけではないことを知っていたが、今度の相手は運動部でそこそこ顔の知れた存在で、異性からの人気も高かった。だから黒鋼も知っていたしファイも相談したのだろう。 部活以外に特に興味もなく、その時黒鋼は何と返したのだったか。たしか「別に嫌いでもないなら付き合ってみりゃいいじゃねえか」ぐらいは言ったのかもしれない。 それからしばらくして授業時間以外を一緒に過ごすその二人の姿が目撃され、どこからともなくやっかみ半分興味半分の「二人が付き合っている」という噂も流れたが、事実であったために騒ぎもそれを境にひと段落していた。 今日も放課後に相手の教室に顔を覗かせに行っていたはずだった。だけれど、付き合っていたのは周知の事実だとは言え、正直腹立たしくて仕方がない。 「キスされかけたんだけど、オレ咄嗟に拒否しちゃったんだ。それで先輩カッとなったみたいで押し倒されそうになったの。 …だから全力で振り切って逃げてきたんだけど…。こんな格好のままじゃ帰れないしどうしよう、って思ってて」 こんな風に泣かせかけた相手はもちろん、易々と交際を勧めてしまった過去の自分にもだ。 部活は体調不良のクラスメートを送っていくと断って早々に抜け出してきた。 ファイは一回り以上サイズの違うジャージをすっぽりと被せられたおかげで乱された服は隠せたが、左手にぶつけたらしき跡があるのと膝を少々すりむいていた。 荷物を持ってやり手を引きながら家路をともにするのは何時以来なのか。 セキュリティ完備のマンションの一室は驚くほど人の気配がなく、寂しい。ファイは仕事柄長期の不在の多い保護者に代わり、通いの家政婦がいるというがいくらしっかりしているからと言っても子どもをこんな風に置いていくことに黒鋼は釈然としない。 自分がまだ子どもだからかもしれないが、こんな寂しい場所に置いていかれるのはとても恐ろしいことのように思われた。 まだ幼くてそれこそ男女の区別もなく遊びまわっていた頃に、やたらとファイが黒鋼の両親に懐いていたのも今はなんとなく察せられた。 着替え終わったファイの部屋に入り、薬箱から傷薬と絆創膏を取り出して打ち付けた痕や傷を一つ一つ丁寧に処置していく。 柔らかな生地の部屋着は制服とは少女の印象をがらりと変える。 黙々と傷の手当をし、道具を意外と几帳面にしまっていく黒鋼の傍にファイは少しずつ距離を詰める。 「オレ男の人見る目ないのかなあ…」 シュンとしょげる肩が今まで覚えていよりも随分細いものだと今更気付く。 細い頤に柔らかな曲線を帯び始めた体、シャツの合わせ目から覗く真っ白な肌。 目に入る全てに自分とは違う生き物なのだと改めて思い知らされる。 今まで犬や猫がじゃれるようにつるんでいた相手が「女」なのだと初めて実感して、かあっと体の芯が熱くなった。 あまりにも即物的な自分の反応に当惑しながら理性でそれを押さえ込む。 無防備すぎるんだろうと思うが。襲われかけた人間に対しそれが酷い物言いなのはいくらなんでも理解出来る。 「お前はもっと男に警戒心持てよ。大体いくら幼なじみだっつってもこんな簡単に俺を部屋にあげてどうする。 お前襲ったあの野郎も俺も男なんだぞ」 結局ありきたりな一般論しかいえない不器用さが我ながらもどかしい。 「だって黒様と先輩は違うもん」 きょとりとごく当然のように反駁するファイにそれは彼氏とただの幼なじみなんだから違うだろう、と内心舌打ちしたかった。 「黒様に触られるのは嫌じゃないよぉ。でも、先輩に触られたのは…」 きゅっと眉根が寄せられる。 「気持ち悪かった…!」 明確な拒絶を現すファイはその時のことを思い出したのか胸元で手を握り締める。 「黒様なら平気なのにね。 オレが、先輩とか好きって言われた男の子より…黒鋼の方が好きだからかなぁ?」 思いもよらぬ告白に顔が奇妙にこわばる。とっさに取り繕おうした表情は眉間の皺を増やしただけだった。その顔をどう思ったのかファイは困ったように笑う。 「変なこと言ってごめんねー」 そんな顔をさせようとしたわけではない。 「馬鹿が…」 苦々しげに呟かれた声の次の瞬間ファイの痩身は白いベッドに沈んでいた。 視界に入るのは天井だけ。 きょとりと目を見開いたファイは自身の上に圧し掛かる重みが何なのか、しばらく把握できなかった。 ふわ、と鼻先を擽るかすかな汗の匂いと黒鋼自身の匂いに場違いなほど安心する。 「…あの、黒たん……。えーと…。 …。 エッチする…の?オレゴムとか持ってないんだけど、黒様は持ってるのー?」 「この状態で言うことがそれかよ!お前!!」 がばぁっと圧し掛かっていた身体を起こし、至極まともな突込みをする黒鋼をファイは改めて、真面目なんだなあ、と仰ぎ見る。 「えっとぉ…やっぱりキスを先にしたいかなぁ」 「他に言うことあんだろうがっ!?」 「好き」 ピタっと音がしそうなほどの勢いで全身の動きを止めてしまった黒鋼を真剣に見つめながらファイはもう一度告げた。 「オレは黒鋼が好き」 茫然と動きを止めた黒鋼を見上げながら、はっきりと 「今まで告白されたどんな男の子よりも、付き合ってくれって言われたから一緒にいる今の彼氏よりも好き」 今まで一度も言ったことの無い幼なじみへの本心。 「だから初めてが黒鋼とならいいよ。ちょっとだけでもオレのこと好きなら嬉しいし」 そう言ってふわりと笑う少女の顔を見て、黒鋼の顔がかあっと赤くなった。あまりにもてらいなくまっすぐな告白に胸を射抜かれる。 照れがあるのも本当だが、自分なりの男としての沽券が、どうにも相手だけに言わせておくのは対等な気がしない。 勢いで押し倒してしまった時よりも心臓の音が早くなる。けれど、言わなくては、といつの間にかからからに乾いた唇をどうにか開いた。 「俺だって…好きじゃない相手にこんなことしねえ」 きょとんと開かれた瞳が嬉しそうに眇められる。互いの真正直な告白に少し照れて、零れた微笑が自分だけに向けられているのだと思うと黒鋼は胸が少しくすぐったくなった。 「キスして?」 「…おう」 おずおずと押し当てられるだけの口付けはすぐに離れていく。 その優しい感触にファイはへにゃりと笑った。 「どーしよー」 内緒話のようにこつりと額を押し当てて囁く。 …笑わないでねー。 今すごく思ったの。やっぱり好きだなぁって。 シャツのボタンを一つ一つはずされていくのが恥ずかしい。黒鋼にしてみれば、指が上手く動いていない気がしてもどかしいのだが、どちらにとっても長い時間に感じられた。淡い色のブラジャーを押し上げ滑らかな肌を露にする。まだ固い乳房が惜しみなく曝け出された。 さすがに頬を染めてファイが目を逸らす。 「オレだけ裸だと恥ずかしいから、黒鋼も脱いで」 一語も交わさないまま、無言で服を脱ぐ音だけが聞こえる。間抜けみたいに見えるかもしれないが、当人同士は自分の心臓の音が相手に聞こえやしないかとハラハラし通しで一秒が十年にも、一分が一瞬にも感じていた。 ぎしり、と音がして日に焼けた体が上に覆いかぶさった。 当然ながらファイは異性の裸などまともに見たことはない。自分とは違う黒い肌と見た目にも分かる骨太な輪郭や皮膚の下の筋肉。ファイはそっと肩に指を這わせた。成長期真っ盛りゆえにまだ背が伸びるに栄養が取られるのか。今は黒鋼の体も一見すれば細身だが、それでも明らかにファイとは造りの違う男の体だ。 指先と肩の小さな接触。不意に合わさった視線にどちらからともなく唇が寄せられる。 どこから触ればいいかなど、分からない。性交の知識はあったとしても、実際に誰かと肌を重ねる行為の前には、上滑る知識など役に立ちはしない。手探り状態のまま、相手の反応を伺い互いに触れていく。触れれば触れるだけ気持ちは昂ぶっていく。恥じらいや擽ったさに時折零れる小さな声にいつしか熱が混じる。秘裂を黒鋼の指が恐る恐る開かせた時には、鼻から抜けるような声が漏れた。 指で少しずつ入り口を解す。ファイは痛みと違和感に身を捩らせたが、何度も自分で逃げを打とうとする体を叱咤して黒鋼の体に爪を立ててすがり付いた。宥めるように繰り返されるキスは、幼いものからとうに深い口付けに変わっている。 ファイ自身から溢れた粘液で既にしとどに濡れた蜜壷から指をずるりと引き抜くと、すすり泣くような吐息が漏らされた。 既に黒鋼も興奮している。愛液に濡れたままの手で立ち上りかけている己自身を幾度か擦り上げ、避妊具を手に取った。悪ふざけでこれを押し付けた級友には今だけ感謝する。 上向いた雄の象徴を一目見てファイはぎゅっと目を閉じた。 あんな大きなものが自分の中に突き立てられるのかと思うと空恐ろしい気になってくる。けれど、あれが黒鋼の一部でこれから二人が繋がるのだと思うと、言いようのない微かな疼きが身体のどこからともなく湧き上がってくるようで、気恥ずかしいながらも何か期待してしまっている自分もいた。 ごそごそと音がするのはおそらく黒鋼が避妊具をつけているのだろうと思うのだけれど、居た堪れなくて目を開けてはいられない。 怖がっている自分と端無く期待している自分。 開いたままの脚の間に、ぬるりと押し付けられる物がある。ぐっと強引に身体の中へ押し進もうとするその熱にファイは身体を竦ませた。 指を入れたときと同じように少しずつ抜き差しをくり返しながら、徐々に奥へと押し入る熱い塊に知らず知らず全身に力が入り、余計に痛みを感じてしまいそうになり、必死で力を抜こうとつとめた。 痛みと引き裂かれそうな圧迫感は同時に黒鋼にも苦痛を与える。二人とも必死で、ようやく全てを収めきった時には黒鋼の額には汗が浮かんでいた。 唇を噛み締めて悲鳴を押し殺していたファイの顔は元の肌の白さを通り越して青ざめている。きつく閉ざした瞼の端からはらはらとこぼれて止まらない涙が、これが現実のことだと告げた。 黒鋼が動きを止めたことに気づいたのか、伏せられていたファイの瞳がゆるゆると開かれる。 望洋と焦点の合わない瞳が瞬きを繰り返す。 「…大丈夫か…?」 黒鋼が恐る恐る聞く。初めて男を受け入れたファイの膣壁はまだ固く、自分を痛いほどに締め付けてくる。薄いゴムを通してでもその中が熱く潤んでいるのが分かった。 窮屈な肉筒に圧迫されて痛みを感じるのだが、体を内側から押し広げられているファイの苦痛はこんなものではないのだろう。 「入ったの…?ぜんぶ」 力のこもらない声が問うてくるのに体温が上がりそうな気さえする。熱を逃がすように「ああ」と吐息に紛れさせて答えた。 「熱い、ね」 シーツを握り締めて強張った指をゆっくりと引き剥がして首に手を回させる。肩をあてどなく滑っていた手がやがて落ち着く場所を見つけたのか、指先にきゅっと力が篭るのが分かった。 「黒鋼のさわってるとこ、ぜんぶあつい」 耳から入る声が甘い毒のように全身に回る。熱さに焼かれそうなのは自分もだと思った。 「動いていいか?」 こくりと頷いた動きに首筋を柔らかい髪が擽っていた。 腰を引くと小さな唇からは掠れた泣き声のような声が零れる。誰に教えられたわけでもないのに、好きな相手の肌に溺れてしまいたいという欲求は自分の内側から溢れるほどに湧き上がってきて、経験などない掌や唇が拙い愛撫を繰り返す。 きっとそれはファイも同じで、律動に痛みを感じないはずもないのに、唇が必死に繰り返すのは「嬉しい、大好き」という言葉だけ。 それすらも最後には途切れがちの音だけになり、白く細い脚が腰を挟みこむように痙攣すると、繋がった場所が奥へと誘い込むように一層熱く蠕動した。 衝動に逆らうことも忘れて、黒鋼は激しく腰を打ち付ける。 腰のあたりに感じていたもどかしいもやもやが、突然明確な形をとったかと思うと背筋を灼くかと思う勢いで快感に全身を震わせた。 どくり、と吐精の証が薄いゴムの膜に塞き止められるのをファイも感じていたけれど、どさりと力の抜けた黒鋼の体重が沈んでくるのに幸せな眩暈を感じる。 「好き…」 聞こえなくてもいい、とさえ思った呟きに返された抱擁に悲しくもないのに涙だけが止まらなかった。 次の日、ファイが別れたという噂は一日で校内を巡った。別れた、というよりも振ったというのが正しいのだろうが。 衆目の中、きっぱりと 「嫌がる女の子相手に自分の性欲だけ押し付けてくるような人は大嫌いです。お付き合いしたくありません。別れます」 と言ってのけた。 ちなみに同情する気は一切ないが、ファイの言うところの「全力で振り切って逃げた」相手の顔面は少々気の毒なことになっていた。 強打されたらしき頬は変色しており、おそらく鼻は折れている。二人がまだ小さいころ黒鋼の父親が実践用にと教えた対変質者用の護身術がしっかりと実行に移された結果だった。 それなりにもてていた男子生徒の顔の悲惨な末路に黒鋼は憤りも忘れて唖然とした。 自ら鉄拳制裁を食らわせた張本人はというと、昼休みに黒鋼と二人で手製の弁当を囲み、「フリーになった!俺にもチャンスあるかも!」と密かに喜んでいた男子生徒の希望をこれまた瞬殺していた。 昨夜、体を気遣う黒鋼に大丈夫だと返しながらも、ファイはベッドシーツに零れた破瓜の印に恥ずかしそうに身動いで、それから幸せそうに笑った。そんな可愛らしい姿を他の男に譲る気など毛頭ない。 そう考えた黒鋼の目の前で、ファイは黒鋼がミニハンバーグを口に運ぶのを嬉しそうに見ていた。 |