のばら |
のばらお泊り編・夜その1
この半日気分が高揚して落ち着かない有様で、それと同時に胸の中がふわふわと浮き立つような気持ちになってくるのだから不思議なものだと思う。 なんとも可愛らしい気持ちなのだが。 いざ黒鋼の部屋の戸を開けた瞬間、ファイの動きが固まった。 食事の片づけを終えるとファイは先に湯を浴びた。 勝手知ったる他人の家、とは言っても家人よりも先に湯を使うのは図々しいかとも思ったが、食事のため火のそばにいると自分でも知らない間に汗をかいてしまうものだし、出来ればきちんと準備をしたいと思ったのだ。 一度汗を流した黒鋼も、シャワーで済ませるとのきちんと湯船に浸かるのとではやはり違うようで、ファイと入れ違いに浴室へと向かった。 風呂上りのファイを気遣って、既に冷房で冷やされた空気は良い。 が。 畳の上に敷かれた布団。 それを目にした途端にファイの全身を羞恥心が襲う。 行為自体は初めてではない。けれど勢いに近い形で乗り越えてしまった最初と違って、二人ともが改めて真正面から抱き合う行為を意識してしまった。 けして嫌なわけではない。むしろそれを望んでいるのだが。やはり浅ましい欲望をさらけ出すのは抵抗がある。 今更ながらにそれを目前にして、緊張と羞恥が体を埋め尽くした。 そろそろと挙動不審に黒鋼の部屋に足を踏み入れる。 机の上にやや乱雑に教科書やノートが置かれている以外は、こざっぱりとしていて同年代の男子からすればかなり整頓されている。 そこかしこに残る黒鋼の痕跡に、湯上がりとは別の火照りが頬からひかない。冷房だけでは治まらない熱に、扇風機を顔のすぐ前で回し始める。 「どうしよー」 フラッシュバックのように脳裏に次々と抱き合った記憶の断片たちが押し寄せる。 自分の何もかもを相手に明け渡してしまったようなあのひと時は、本当に幸せで幸せで。だからこそ、それに未だ慣れないのだ。 風呂から上がった黒鋼が見たときには、ファイは真っ赤な顔で泣きそうになっていた。 ぺたりと膝をついているファイの傍らに屈みこもうとすると、それだけで不安げな視線を寄越されて黒鋼も無言のうちにファイの躊躇を感じ取る。 黒鋼を待っている間にぐるぐると考えすぎて一人で想像を走らせてしまったファイだったが、怯えにも見えるその様子に黒鋼もどうやって距離をとればいいのか分からず、誤魔化すようにタオルで頭を拭った。 異性の体も心も、分からないことが多すぎる。だが、目の前の少女の発育途中の体はどこもかしこも華奢で、自分の我侭だけで振舞うには気が咎めた。 黒鋼も男として一度知ってしまった体に引きずられる欲望もあるけれど、それだけが目的で好きなわけではない。 行為が優先してしまったような二人の始まりだったけれど、大事にしたいと思う気持ちは掛値なしに本当だ。 「今日は止めとくか?」 「ダメ!」 思わぬ大声に二人の動きが止まる。 黒鋼も驚いたが、声をあげたファイはそれにも増して自分自身の過剰な反応に驚いてしまった。 だが、ここで引いてしまうのも嫌なのだ。 「あのね…!」 ファイが思い切ったように口火を切る。何故か正座してぎゅっと拳を握っている姿に、黒鋼もつられて緊張してかしこまる。布団の上で向かいあって数十秒。 「今日は新しい下着なの!」 「は?」 そんな第一声が飛んでくるとは、黒鋼に予想出来ようはずもなかった。 「こ、こないだ…最初の時は普通のだったから、今度こそ可愛いのにしたくて…、だから」 言い募るうちに、まるでそれだけが目的のような自分が恥かしくてファイはだんだん泣きたくなる。 黒鋼が呆けたように何も言わないことが不安を募らせて目じりの雫が重たくなっていくのを感じていた。 「なあ」 「…」 「俺に見せたくて選んだのか?」 疑問に頷きを返すだけで精一杯になっているファイに、躊躇いがちに伸ばされた黒鋼の手が頬を包む。 あっという間に視界がぼやけて、口付けられているのだと分かった。 触れるだけの唇はすぐに離れ、間近で互いの瞳を覗き込む。赤に蒼が、蒼に赤が溶け込むのが不思議で見飽きることはない。 間をおかず、ぶつけるように触れた二度目の口付けは一度目の触れ合いよりも濃厚になり、ファイの薄い唇をわって黒鋼の舌が口内に侵入してきた。 冷たい空気を混ぜるように扇風機の羽が回っている。 けれど二人の耳にその音は届かない。 吐息も熱をも共有する口付けが離されても名残惜しくて。唇を舐めあげて、どちらのものともつかない唾液を拭う。 くたりと力の抜けたファイの体に黒鋼の両腕が回され、力が篭った。黒鋼の肩に頭を預けたファイの頬を、短い黒髪がくすぐる。 「やべー…。俺、今すげぇ緊張してる」 ぼそぼそと耳元で呟く黒鋼にファイが思わず目を見開く。 「ダメだとか無理だとか思ったらすぐ言えよ。 …すげーシたくなってるから、どこまで自制出来るかわかんねえけど」 ただ抱きしめられているだけなのに、ファイの体の奥に火の灯されたような熱の種が燻りだした。 「絶対言わない」 愛人疑惑
のばらシリーズその後 「なんか最近ねー、高校生なのに愛人の気分」 もそりと裸体をシーツにくるんでファイが上半身をおこした。 シャワーを浴びたばかりの黒鋼は脈絡のない台詞の意味が分からない。 飲み込みの悪い反応にファイは少し膨れてベッドにうつ伏せた。 そのまま足をばたつかせて、うー、だとか、むー と意味不明な唸り声を上げた。シーツが隠しきれない素足がちらちらと黒鋼の視界をよぎる。 「…だって、黒様お休みの日も部活だし、会えるのって学校か今みたいにオレの部屋でえっちする時だけだもん」 「それは…」 「恋人って言うよりも愛人だよねー」 どうやら拗ねているらしい恋人の頭を撫でた黒鋼の言葉にファイは固まった。 「どうせそのうち一緒に暮らすんだから、今は辛抱しろよ」 「え…」 「どうしても今我慢出来ねえなら…。うちに一緒に帰るか?」 思わずこくりと頷いてしまったファイは、三十分後、黒鋼と手を繋いで彼の自宅の扉をくぐった。 |