五つのお伽噺 |
01. 不眠症の眠り姫
目覚めた瞬間、脳裏が後悔で埋めつくされる――そんな経験をしたい人がいるわけないのだが、人間稀にそんな体験を引き寄せてしまうもので。 黒鋼の目覚めは最悪だった。 不手際、不可抗力。どんな理由やきっかけがあったにせよやってしまったのが自分自身である以上、言い訳は出来ない。 ぐちゃぐちゃにたわんだシーツに、男二人が横になっている異常事態。…身に覚えがありすぎる。 もう片方の当事者は未だ眠りから目覚める気配はない。 朝の日差しはカーテンに遮られ、部屋は薄暗い。胸板に額を押し付けてすうすうと穏やかな寝息を立てる相手の姿に歎息する。 いくら細身でもこれは「男」なのだ。 のめりこむほどではないとは言え、女が嫌いなわけではない。むしろ柔らかな体を抱いて得る快楽は健全な男の欲求として自然だと思っている。 なのに、だ。 (穴があったらなんでもいいのかよ、俺は) 自分自身に毒づきたくなったとしても仕方がない。 髪と同じく淡い金色の睫毛。その瞼に隠されている瞳は蒼。 黒鋼よりも年上のこの男は担当教授を介して幾度か顔を会わせたことがある、その程度の認識しかない人物だった。まともに会話したのすら昨夜の教授主宰の飲み会が初めてかもしれない。 だが、奇人変人の多い学内でもその際立った容姿とともに特異な人物として有名だった。 黒髪の担当教授はその美貌を歪めて彼をこう評した。 「あれはね、三大欲求をどこかに置き忘れてその代わりに知識欲だけつめこんで生まれてきたのよ」 本を読んで寝食を忘れても逆はない。生命の生存欲求と引き換えに類まれな見てくれと頭脳を得たというのが専らの噂。 呆れと同時に彼女の台詞が教え子を案じてのことだとも分かる。面白いもの好きで退屈だといってははた迷惑なお祭り騒ぎを巻き起こす教授だが、情の薄い人間ではないと知っていたし、そんなところは好ましかった。 かろうじて積極的に摂るのは酒で炭水化物よりもアルコールでのカロリー摂取が多いに違いない。 自身も酒豪である彼女にこう言わしめた彼と、飲み会で用意された酒を全て空にした。酒がなくなったのならば長居をする必要もない。酔いつぶれた人間を風邪を引かないようにだけしてさっさと帰ろうとした黒鋼の袖を引っ張ったのは彼。 蒼い瞳をへにゃりと笑みの形にして、君お酒強いねーと声をかけてきた本人にも酔いの気配は遠かった。 「飲み足りなくなぁい?うち来るー?」 その誘いにどうして乗ったのか。二人で飲みなおすことにした。 ありったけの酒を並べて飲みながら、時折他愛もないことを話していた。黒鋼は専ら相槌を打つだけだったが、相手は気分を害する風もない。 静かな時間だった。 どこでスイッチが切り替わったのか。何をとち狂ってしまったのか。 肝心のそこだけが曖昧なままで、二人してベッドにもつれ込んだ挙句、相手の体に溺れた。男相手の経験がないのは同様で、いちいちその覚束ない仕種にさえ興奮していた。 声を聞きたくて、触ればどんな反応をするのか知りたくて、散々に体を揺さぶったのを覚えている。 行為の痕跡もあらわな肢体とは裏腹に、未だ名前さえ聞いていないことに気づいて頭を抱えたくなったが、朧げな記憶と鮮明な記憶、どちらを辿っても拒否はなかったように思う。そうなれば非難されても連帯責任だ。そう腹をくくって相手の肩を強めに揺さぶる。 振動に睡眠が途切れたのか眉根がぎゅっと寄せられ、瞼がそろりと持ち上がった。眠気がまさって完全には焦点の合わない瞳で黒鋼の顔を見上げてくる。拒絶の色がないことに内心ほっとした。 「…なあにぃ?」 「起きろ」 「ん、…ゃあ」 こどもの様にむずかって、起こそうとする黒鋼の手を払い除けるものの、体は温もりを逃がすまいと擦り寄ってくる。 「もうちょっと、いっしょにねるのー」 肩に収まりのいい場所を見つけたのか、あったかい、と呟きそのまま呼吸が深くなっていった。 『食欲に睡眠欲、さらには性欲までどこかに落としてきちゃったような子よ』 「…おい」 だったら今、自分の目の前で起こっている現実は何だというのか。 一番の問題は、首筋をわずかにくすぐる寝息を悪くないと思っている自分なのか。 02.髪の短いラプンツェル
「ラプンツェルっていうのは、悪い妖精さんに略取監禁されて育てられた女の子がダラダラに伸びた髪の毛をおろして妖精さんの入室を手伝わされてるときにたまたま塔の側を通りかかった王子様に一目惚れされて騙されて室内に押し入られた挙句色々いたされて二人で逃亡を画策してる最中に子ども出来ちゃったのが妖精さんにバレて塔から追い出されて女の子が一人ボロボロのまま荒れ野で子どもたちを育てる話」 「……」 「あ、でも妖精さんに目を潰されて延々と荒野をさ迷ってた王子様と偶然会えて、ちゃんとハッピーエンドになるんだよ」 「その話でどうやって」 化学教師の要約したお伽話が、大筋こそ間違ってこそないものの本来意図されていたであろうイメージから程遠い物になったことは想像に難くない。 たとえ元の話を知らなくても。 「でもオレはラプンツェルが羨ましいよー」 今の話のどこに憧れを覚えられるというのか。雄弁に「お前の言ってることが理解できねえ」と語る体育教師の視線にファイがヘロリと表情を崩した。 「そりゃ最初はそんなつもりで招き入れたんじゃなくても妖精さんに見つかる危険を省ずに自分に会いに来てくれちゃったりさあ、外の世界に連れてってくれようと頑張ってる王子様見たらラプンツェルだってほだされると思うんだよねぇ」 いつか自分だけを選んで、ここではないどこかに連れてってくれる誰かがやって来るのを待つ。 「ロマンチックじゃない? お伽話は女の子の夢の宝庫だもん」 「連れてって欲しいのか」 まるで他人事の様に語るファイが解せなくて黒鋼は自分でも気がつかないうちに尋ねていた。羨ましいと言ったのは自分のくせに、端から自分には関わりのないことと決めつけているような態度は気に入らない。 「…連れてってくれるの?」 今だって、そんな言葉が返ってくるだなんて思いもしなかったように目を見開いている。 「オレ髪も短いし女の子でもないよ」 すぐにいつものように軽口めかせて微笑んだつもりだろうが、刹那によぎった期待と寂寥感に滲んだ声を看過する黒鋼ではない。 「言っとくが塔もなけりゃ妖精とやらもいねえよ」 「でも、もし閉じ込められて…オレが外に出てこなくなったらどうする?」 現実はそうではないと知っていながら、それでも、「もしも」の話に願望を託す。こうあればいいと思う夢や望みの何もかもを否定することは簡単だろうけれど味気ない。 誰だって望みに合致する答えが欲しい。 そろそろ微笑では誤魔化しきれない感情の機微やそれを読み取れるようになってきた互いの関係性を思い知ればいい。 無論、甘い言葉などくれてやる気はないのだが。 「首根っこ掴んで引き摺り出してやる」 ぱちぱちと音がしそうなほどに瞬きを繰り返した後、体に黒鋼の言葉が染み込んでいくようにファイが破顔した。 いつもの微笑ではなく、内側から思わず溢れ出したような笑みだった。 「―うん。オレもね、『誰か』より黒様が良いなー」 王子様でも塔の上の孤独な少女でもないけれど、体育教師と化学教師の締めくくりもそれなりにではあるのだ。多分これからも。 |