裏山の猫又

黒鋼×ファイ




裏山の猫又 2


 九尾の狐は天照の対多人数討伐指定妖怪の一匹なため、鳩を飛ばして一応知らせておいた。とはいっても一人で乗り込むつもりではある。鳥が猫に食われないように用心してそっと飛ばしたつもりが後ろから見られていたようだ。ひょこんと空を見上げながら、黒鋼の腕に抱きついて、いってらっしゃいと猫が鳥に手を振っていた。こうした肌の触合いが、いつしか日常茶飯事になっていた。
「食わねーのか?」
「生じゃねー食べれないよぅ」
「……なんでそんなに人間臭いんだお前は」
「さあ……わかんない。まだにゃんこだった頃の記憶かなー?」
「逆におかしいだろ……」
 生の魚は嫌いなくせに、焼いた魚は好物で、何より酒が大好きで、火も水も怖がらずに機織をして生計を立てている。あの羽織もファイが自ら作ったものだった。近くの町に持っていけば、反物はかなりの値で売れてくれるのだそうだ。そこで食料を調達するが、村の地酒だけは手に入らないから掠め盗る。絹も麻も綿も山で取り、染付けも自ら行うほど器用なくせに、箸の扱いは知らなかった。可愛らしい、猫娘。
 黒鋼が山に来てからもずっと、瘴気を浴びて魔に染まりきった狐は獲物をずっと探していた。そのたびにファイは妖術を使って山から出れないようにしているようだった。瘴気の影響で新月の夜だけはファイの力が使えず、狐の思うままになっているという。狐はもはや神聖性を保てず、どす黒く変色した毛色で人に擬態しているようだ。



 そして、新月の夜。一月に一夜だけ力を失うファイは、青褪めた顔をして黒鋼を見つめていた。
「俺が、狐を止めるってことは、殺すって事だぞ」
「……仕方ないよ。だって、どんどん強くなって、俺もあの人を抑えきれなくなって……殺されかけたもん」
「あの時首に巻いていた布は、そのせいか」
「うん……」
 へちょりと項垂れると、ファイは酷く愛らしい。黒鋼は気をつけて耳に触れないように、そろそろと頭を撫でてやった。一緒に暮らす半月で、猫はこれが気に入ったようだった。
 ぞわり、と鳥肌が立つのは妖気というより瘴気が漂ったからだろうか。覚えのある魔の空気に黒鋼はファイを庇うようにして刀を構えた。
「貴様か……本当の、化け物って奴は」
 血の匂いがする。黒鋼でさえ感じるくらいだ、ファイはとっくに気付いているだろう。
「ああ……ファイ、ファイ……甘くて美味しいものがあるよ……こっちへおいで……」
「何を……して、るの……」
「ファイ、おいで……」
 ファイが震える手で明りを灯すと、漆黒に染まった狐の姿が露になる。そこには、幼い娘、おそらく村長夫妻の一人娘だったのだろう、その躯が、腸が、狐の餌食となっていた。
「いやぁぁああああッ!」
「この畜生がぁッ!」
 黒鋼が刀を振りかざし、ファイは手で顔を覆って泣き叫んだ。月の満ち欠けで反比例する猫と狐の妖力は、その桁も違っていたようで、黒鋼は防ぐだけで精一杯だ。歪められた神通力でへし折られた鋭い木の枝が、黒鋼を目掛けて降り注ぐ。何とか叩き落したと思った次の瞬間、狐の鋭い手が黒鋼の腹を削り、血の雨が降り注ぐ。 「黒様ぁあああ!」
「ぐッ……う……」
 崩れ落ちた身体に駆け寄り、ファイがはたはたと涙を落とす。離れまいとする猫の頸を狐の手が掴んで持ち上げた。
「あぐ……」
「ファイッ……」
「私の可愛いファイ、お前も食べてしまおうか。きっと、美味しいに違いない……」
 じわじわとファイの頸を締め上げる狐をギッと睨み、黒鋼は鞘を支えに立ち上がると、ぼたぼたと腹から血を流しながらも狐を退魔刀で貫いた。ふいにドサリと落ちたファイはゲホゲホと咳き込み、血みどろの二人を見つめた。
「あ……あ……」
 貫かれた身体は倒れ、人の姿を保つことが出来ずに黒い狐と戻り、そして、塵芥と消えていく。黒鋼はがくりと地に膝を付き、肩で息をしながらファイに手を伸ばし、ぐらりと倒れた。
「黒様ぁあっ黒様、やだぁ……や……死んじゃやだよ……」
 泣き喚くファイは涙に濡れた顔に、黒鋼の血に塗れた手を押し当てる。腕を抱きしめるようにして、ファイは黒鋼を呼び続ける。
「いや、いやだよぅ……黒鋼ぇ……」
 血に塗れていく黒鋼をどうにも出来ずにいると、ざり、と足音がしてそこには見たこともない少年が立っていた。黒鋼と同じような黒衣の装束で、所作に隙がなく松明を持ち、しかし呆れたような顔で黒鋼を見つめていた。
「黒鋼さん、やっぱり一人で突っ走っちゃったんですね。せっかく便りをくれたのに、間に合わなかった……」
「君は……」
「小狼といいます。泣かないで下さい、大丈夫ですよ。このくらいならこの人は死にはしませんから」
 にっこりと笑った少年は、後ろに控えていた覆面の者達に黒鋼を運ぶように指示をした。言葉も発さず男の身体は担架に乗せられて運ばれていく。
「黒様ぁ……」
 黒鋼に向かって手を伸ばしたファイを、小狼はじっと見つめ、そして驚いたようにその力を分析する。
「貴女は猫又ですね……でも、ここまで神格を持っているのは珍しいです」
「黒様は、どこに連れて行かれちゃうの……」
「天照、都へ。治療するだけですから何の心配もありませんよ」
「あまてらす……」
 遠いところへ行ってしまう、とファイは呟いて再び涙を溢れさせる。顔に付いた血が涙でぽたぽたと流されていった。小狼は少し悩んでいたものの、松明を掲げて娘の姿をまじまじと見、自分の上役の性格を考え、そしてにこりと笑って言った。
「姫が気に入るかもしれません。というか、十中八九、気に入りますね。一緒に来ますか?」
「黒様と、黒鋼と、一緒にいられる?」
「ええ、勿論」
 よかったぁ、とまた涙を流す娘を見ながら、小狼は心配しなくてもここまで可愛い人を黒鋼が置いていくわけがないと思ったが、言わなかった。
 月のない夜は、今、明けようとしていた。



 にこやかに微笑んだ少女は黒鋼を見下ろし、その嫌そうな顔に更に笑みを深めた。
「あらあら、素敵な顔ですわね」
 視線で人が殺せたらとはこの顔を言うのだろう。
「なんで、ここにあんたがいるんだ、知世姫」
「逆ですわ。黒鋼が、天照に戻ってきていましてよ」
 少女の言葉を聞くや否や、黒鋼はがばりと起き上がってファイは、と叫んだ。やっぱりといった顔で少女は微笑み、襖の影に佇むものに指示を出した。天照の上役である彼女は、組織を動かす力を持つだけでなく、黒鋼の殺生与奪権さえも持っている。それは、黒鋼だけに限らず、全ての命を預かるものについてだ。保護した神仏妖怪についても、それは同様だ。黒鋼はそれを何より危惧していた。なにせ、天照の基本方針は、人に害あるものは滅せよ、なのだ。  少女はのんびりとした口調で黒鋼に問うでもなしに呟いた。
「あの猫ちゃん、とっても可愛らしいですわね」
「あいつに何かしたのか!」
「ですが、妖怪は妖怪、我々とは相容れぬものです」
「関係ねーよ!」
 今にも立ち上がって探しに行きそうな黒鋼に、知世が手を翳すとその場から離れられぬ結界が出現する。
「おい!」
「落ち着いてお聞きなさい。妖怪と、貴方とは寿命が違います。貴方が望むとも望まずともあの猫ちゃんを置いて逝くことになりますの。それを承知の上で、添い遂げるとおっしゃるの?」
「俺は、あいつを……娶る。俺が、死ぬときは、責任を持って俺が殺してやる」
 少女は微笑み、そしてすっくと立ち上がると襖の前まで歩いていった。
「その言葉、忘れないようになさい」
 すっと手を差し伸べると襖は独りでに開き、慣れない正座をしている猫の姿があった。
「お前……」
「黒様……」
 漸く姿を見つけてほっとした黒鋼は、ファイがこちらに飛びついてくるものだと思って待っていた。暮らしていた半月の間、じゃれついていた記憶しかないからだ。しかし、何かに遠慮しているのか、そうできない理由があるのか、ピクリとも身動きせずに黒鋼を見つめるだけだった。知世はころころと弾んだ笑い声を上げ、肩透かしを食らったような黒鋼に視線を戻した。
「おい、どうしたんだ……」
「動け、ないよぅ……」
「なんだ、何か結界でもかけてんじゃねーだろーな……」
 知世に向かってギッとねめつける黒鋼を、彼女は全く意に介さずファイの手をとった。しかし、ファイは立ち上がるどころか動けもしなかった。
「そんな無粋なもの、このように可愛らしい猫ちゃんにかけるわけがありませんわ」
「だったらなんで……」
 めそりと泣きかけたファイが、ぷるぷる震えて黒鋼に助けを求めるような視線を向ける。
「足が痺れて、動けないー……」
「阿呆かてめぇ……」
 可愛らしいこと、と笑う知世は、脱力した黒鋼に追い討ちをかけた。
「奥方にするからには、御覚悟なさいませ。猫の子どもは一度に何匹生まれるか、知らないとは言わせませんわ」
「なっ……」
「猫又も然り。さあ、きりきり働いてもらいましてよ」
「なっ……」
 ファイの横に膝を付く小狼が足を崩した方がいいのだと教えているようだが、どうにも動くたびに痺れが走るらしく、みゃだのにょだの艶かしいような変な声があがる。その上、きっちり着せ付けられた高価な着物は、帯のせいできついらしく、呼吸が乱れて頬が紅色に染まっていた。
「勘弁しろよ……」
 もはや叫ぶ気力もなく、黒鋼はがくんと突っ伏した。猫はみゃんみゃん煩かった。



「黒様、おかえりなさいー」
「父様、おかえりなさいー」
「おう」
 知世の予想に反して、だが猫の子は猫、可愛らしい猫耳の付いた娘を一人だけファイは産んだ。ファイを娶ってからの黒鋼の仕事はなるべく近場に回されたようで、猫が身篭ってからは天照の守人筆頭となっていた。どうもそれは、ファイが黒鋼に付いていってしまうという事態を知世が危惧したためだと言われている。彼女も元来、可愛いもの好きなのだ。
「チィ、父様に渡すものがあったんじゃなかったっけー?」
「うん、これ!母様の端切れを貰って、お守り、作ったの!」
 ファイと同じように全体的に色素の薄い娘は、かなり愛らしく、四の齢にしてすでに天照内で求婚者が続出しているとの事だ。黒鋼のいないところ限定で。
「綺麗にできたじゃねーか」
「うん!」
 端切れがあるということは、元の布地があるということ。今度はファイが作った、何重もの染付けに、細かな刺繍の入った黒鋼用の羽織を差し出した。
「年に一度の天照のお集まりだもん、新調しなきゃね」
「すまねーな」
「んー黒様のを作るのは楽しいから好きだよー」
 羽織を受け取り、黒鋼はファイを抱き寄せる。
「その頃には、もうこいつらは生まれてるだろうな」
「多分ねー」
 大きなファイのお腹には娘の弟妹が宿っている。これは、知世の予想に合致して、三つ子か四つ子ではないかと言われていた。チィがファイのお腹を撫でながら、腹の子共が蹴り返してくるのを楽しんでいる。
「母様、お腹空いた」
「うん、食べよっか。もう出来てるからねー」
「酒飲むなよ」
「……ちょっとだけ……」
「駄目だっつってるだろ」
 涙目のファイは相変わらず酒好きだ。黒鋼は懐から出した小壷をファイに手渡す。
「お酒?」
「甘露だ。知世姫がお前にだそうだ」
「わぁ、お礼しなきゃ」
 酒も好きだが、甘いものも好きだ。それより何より、この黒くて尊大な態度の男が大好きだ。坊主は猫を抱き寄せ、その真白いうなじに口付けた。
「にゃ?」
「なんでもねーよ」
 不思議そうな妻と娘を促し、家に戻る。まだ狐に嫉妬していたとは口が裂けても言えそうにない。

空には、真ん丸い月が物言わず浮かんでいた。


2007年11月ブログ掲載、2008年1月再録予定