黒鋼×ファイ
蔑んで哀れんでそして愛して 3
少年は喚いていた。これはもはや八つ当たりに等しいのかもしれない。
「兄さんが悪いんじゃないか!」
「どうしてかな?」
「兄さんが危ないからって巡回なんかしないのに、その兄さんが城下にいてどうするんだよ!正気の沙汰じゃないよ!このサボり魔!」
どう説明したものかと困ったような青年は、少年の頭を優しく撫でながらゆっくりと諭す。
「私が、城の外に出るのは狂っているからでも仕事を放棄するからでもないんだよ。あの行進は単なるデモンストレーションであって、犯罪抑止にはなっても犯罪防止にはならない。お前なら違いは解るね。私は、ちゃんと見定めたいんだ。自分のこの目で、皆の暮らしを」
「でも……じいやにいつも怒られるのは俺なんだ。王を連れ出すなど正気の沙汰ではありませんって。それに見合いをサボるサボり魔って」
「……じいやか……どこでそんな言葉を覚えたのかと思ったら……わかった。今日のところは帰ろうか」
青年が参ったとばかりに弟を見つめ、そして顔を上げたとき、真正面にいた人を真っ直ぐに見た。見たこともないほどに美しい白い肌、青い瞳、金の髪、すらりと高い背、隠しきれない知性。彼の理想の美が息をして歩いているのだ。そして、目の前に、いる。
「兄さん?」
彼はまるで酔っ払いのようにふらふらと、だが吸い寄せられるように近づき、そして跪いた。
「兄さん!」
少年が慌てたように声をかけるが、青年がその人に向かって手を伸ばす方が早かった。
「美しい方、どうか、お名前を教えて頂けませんか?」
「え、えっと……」
「決して怪しいものではありません。どうか、どうか……」
その美しい人は、この国の常識に照らし合わせてありえないことに、道端でヴェールを外していた。だが、先ほど通った王の巡回の後ということを考えればそれも仕方がないことなのかもしれない。そして、青年は喚く弟を手で制して、じっとその人を見つめた。まさか法律十二条「女性の一人歩きを禁ず」に逆らって一人で歩いているわけではないだろうが、傍に男の姿は見受けられなかった。いや、青年の目にはもうこの人しか映っていないというのが正しいのだろう。
「……ファイ、です」
「おい!」
後ろから男が怒鳴る。まさか夫だろうか、しかし、青年は美に傅いていた。ファイと名乗った美しい人を欲した彼には恋人も夫も関係なかった。そういえる立場にあったからだ。
「ファイ……貴女は異国の方ですね。ならば、これが意味するところは判らないでしょうね」
青年がそう言って見せたのは手首に嵌る銀のブレスレット。獅子の模様が彫られ、高価そうな宝石が鏤められている。
「これが、私の証。永都不知火の二十二代国王、腕に背に獅子を抱き鎮める者。我が名は静。静・不知火と申します」
「せい、王様?」
「おい、ファイ!何考えてやがる?」
男がまた怒鳴る。しかし静と名乗った青年には煩いと言う感想すら浮かばなかった。ただ、ファイを見つめていた。
「どうか私の妃に、我が伴侶となって頂きたい」
「え……」
ファイは意味が判らないとばかりに首を傾げた。ファイにしてみれば、名前を名乗ったら王様っぽい人からプロポーズされたのだから、理解が追いつかないのも無理はない。確かに先ほどの巡回行進の中にいた人よりはよほど威厳もあるし尊厳もある。何より、王様然として一歩も引かない気迫を伴っているのだ。
後ろで不思議な生き物を抱えた少女が驚愕の表情でファイを見つめている。その隣で心配そうな顔をした少年が、先ほどから怒鳴り続ける男とファイを交互に見ていた。
「貴女は後ろのその方と結婚なさっているのですか?」
「え?えぇええ!そ、そんな、結婚なんかしてないよー」
「そうですか、それは良かった」
「良くないよーなんで、いきなりそんなこと言うんですかー?」
ファイがどうしよう、と後ろに救いの視線を求めて後ずさったとき、今までで一番の痛みが足を襲った。よろけた身体は前のめりに倒れ、とっさに立ち上がった静が細い身体を抱きとめた。痛いと言葉は聞こえなかったが、喉の奥で息を飲んだ音は耳に届いた。
「怪我をしていらっしゃるのではないか?城に行き、早急に手当を!」
「へ、ふぇ、え、うわぁあ」
凡そ女性らしからぬ妙な声が漏れたが、急に抱き上げたせいだろうと青年は気にしなかった。ファイの身体を横抱きにし、大股でずかずか歩いていく静には最早周りなど見えていないに違いない。
「に、兄さん!」
「どこに連れて行く気だテメェ!」
男が静の腕を捕まえたとき、漸く王の目にファイ以外が映ったようだったが、それはただの障害としてしか判別されなかった。
「我に……我に触れるな!」
一喝した青年から多量の魔力と風が溢れ、男を道の向こう側まで吹き飛ばす。
「黒様!」
「行きましょう、ファイ」
「ま、待って、王様!小狼君、サクラちゃんと黒様をお願い!」
「ファイさん!」
置いていかれた少年も呆気に取られたまま兄の後を追うことが出来ないでいる。小狼は少年の腕を捕らえ、立ち上がってきた黒鋼が来るのを待った。
「は、離せ……」
「離しません。事情を、聞きたいんです」
「俺だってなんで兄さんがあんな……」
「泣かないで下さい。乱暴なことはしませんから、ただ、話を、聞きたいんです」
兄の思わぬ姿に泣き出してしまった少年は、黒鋼が悪鬼の如く近づいてきたのも怖かったのだろうか。さらに酷く泣き出し、ついには小狼に抱きついてわんわん大声を上げた。静を追いかけようとしていた黒鋼は、少年の喚き声に毒気を抜かれてその場に立ち尽くして大きな溜息をついた。
「泣かないで……」
「泣くなよー」
サクラとモコナが心配そうに声をかけハンカチを差し出すと、急に少年は羞恥を取り戻したのか、差し出されたものを受け取ることなく自身の袖で涙を拭いた。
「ご、ごめんなさい……女性の前でこんな……」
「気にしないで。それより、お話を聞かせてください。貴方と、貴方のお兄さんのお話を」
少年は場所を変えたほうがいいという小狼に支えられながら、ここから少し離れた場所にある公園まで皆を案内し、奥まった場所にあるベンチに座って漸く口を開いた。彼の腕には先ほど青年が見せたものと同じブレスレットが嵌っている。
「これが、俺の証。永都不知火の二十二代国王の弟、腕に獅子を抱き王を補佐する者。我が名は瀬。瀬・不知火だ」
「らい、王弟殿下」
「瀬でいい。さっきはすまなかった。兄が、あんなことをするのは初めてで、混乱してしまったんだ」
決められた科白を暗証するように彼は自身の名を告げた。パニックが収まって自分の立場を思い出したらしく、ほんのちょっぴり背伸びをした大人びた話し方をする。
「じゃあ……瀬、さっきの、静王様はファイさんを伴侶にって言ってたけど、もしかして本当に結婚する気で連れて行ったのか?」
「……兄さんは、ずっと探してた。美しく、聡明な女性を一人だけ。この国では王が全て。王が望めば幼女だろうが老婆だろうがたとえ結婚している女性でも、子共がいたとしても差し出さなければならない。そうして、血を保っていたんだ」
「血を、保つ?どういう意味だ」
コクリと頷いた瀬は、国など簡単に滅ぼしそうなほどに不機嫌な黒鋼の顔を見上げながら、負けじと視線を返して言葉を繋げた。
「さっき兄さんが使ったのは、王族にのみ伝わる魔法だ。あの力は血で受け継がれていく。兄さんは第八王妃の息子で四子だけど、王となった。それは一番力に優れていたからなんだ。俺は、第十二王妃の息子で七子だけど、兄さんの次に魔法を扱えるからもしものときの王位継承者として育てられている」
「つまり、お前は兄貴に魔法を使う子共が生まれるまでの保険か」
「……そうだ」
黒鋼の言葉に、瀬は痛みを堪えるような表情で応えた。
「黒鋼さん!」
小狼が触れてはいけないと声を荒げるが、男は彼の声に毛筋ほどの動揺も見せずに赤い瞳で見下した。
「事実だ」
「そうですが……」
モコナが、言い方が悪い、とサクラの腕から黒鋼の方にぴょんと飛び移り、漂っていた良くない空気の流れを変える。少し安心したのか、瀬は小狼に薄い笑みを向けた。
「いいんだ、本当のことだし、王とはなれなくても王の補佐をすることが決まっている。それはとても名誉なことなんだ。俺、兄さんのことは好きだし」
「そうなのか……」
捕まえようとヒュッと伸ばされた黒鋼の手を逃れ、今度は小狼の腕に収まったモコナは瀬を見ながら尋ねる。瀬の真っ黒な瞳は不思議な生物を捕らえても、特に気にかかるということはなかったようだ。
「ファイがお嫁さんにされるなら、他のお嫁さん候補はどうなるの?」
「そういえば、第一貴族の娘姉妹が争ってるとか噂してた」
少年は少し悩んだようだが、三人と一匹を信用したようで重たげな口を開いた。
「第一貴族は、王族と同じく魔法の血筋を保っている。だけど、奴等の魔法は魔法じゃない、邪法なんだ。だから兄さんはずっと拒んでる」
「邪法?」
「あいつも邪法がどうとか言ってやがったな」
「ファイさんも?」
「そこらじゅうにあるんだとよ」
黒鋼の言葉に瀬は驚き、そんなことないと叫び、そして自ら叫んだ言葉を否定して、再びベンチにすとんと腰を下ろした。その視線の先は地面を見、そしてあらぬ方向を見てそして指を指した。
「あれが、読めるか?」
「あれ?」
指の先を見て、うっすらと描かれた模様に黒鋼と小狼は首を横に振り、瀬を見る。すると、サクラがじっとそれを見て、そして恐る恐る読み上げた。
「気をつけて、遊べ?かな?」
「貴女は読めるんですね。これは、ずっと受け継がれている『魔法使い用の街での注意書き』なんだ。気をつけろとかここは駄目とか子供用に書いてある。俺達みたいに魔法を受け継いだ王族は、言葉より先に魔法の詩を覚える。魔法で風に乗って城を抜け出すこともあったから、こうして注意して書いてあるんだ。でも……」
「邪法が、何かしてるんですね」
本来はあってはならないことだと強い口調で否定し、そして腕のブレスレットにそっと触れた。それは腕に嵌めているというよりは腕に食い込んでいると言ったほうが正しい。だが、これが彼の誇りであり証なのだ。
「魔法の詩は、邪法によって邪詩に属性を変える。誰かが、誰かを呪ってこの国を汚しているんだ……」
「王様はそれを止めようとして、身代わりの王様を巡回させて、自分で街を守ろうとしていたんだ」
「だから、兄さんはいつも城を抜け出して……」
弟なのに気付けなかった、補佐であるのに援護すらしていなかった、と悔む瀬を見つめ、小狼は大丈夫だと肩をやんわりと叩く、王弟は歳近い小狼に気を許したようで、素直にありがとうと微笑んだ。
「兄さんは無理強いをするような人じゃない。きっと、あの女性は無事に帰ってくる」
「そうは見えなかったけどな」
「……あんなふうに女性に執着するなんて今までなかった。あんなふうに激昂して魔法を使うなんて絶対ありえなかった。俺が、魔法で補佐できるようなレベルじゃなかった……兄さんには、天地がひっくり返っても敵わない……」
「瀬……」
再び泣きそうになった少年を小狼は支えた。黒鋼はチッと舌打ちをして、街の外からは見えなかった城を見上げる。城を一戸の家として見れば、街は庭のようなものだ。注意書きがあったのも頷ける。
「とにかく、迎えに行くぞ」
「城には王族の許しがないと入れないんだ」
「お前は城に帰らねーのか?」
「でも……兄さんに……」
「お前の兄貴に逆らうわけじゃねーよ。お前が城に入るときに同行し、そしてあいつを連れて帰る、それだけの話だ」
解ったと立ち上がった少年は、こんなことは間違っているんだと呟き、黒鋼と同じように城を見やった。
「あいつ、どうしてよろけやがった」
黒鋼が解せないとばかりに独りごちる。訊き留めた小狼は、気付いていなかったのかと黒鋼の鈍さを意外に思いつつ、気付かせようとしなかったファイの気持ちを想う。
「慣れない靴で、ファイさんの足、傷ついてました。血の匂いがしてたから」
「……なんで言わねーんだ、あの馬鹿」
小狼は黒鋼に聞こえないようにぼそりと呟く。それは、気付かなかった彼への僅かな優越感と、気付かせないように気を遣われた彼への仄かな嫉妬心。
「貴方だから……言いたくなかったんだ」
少し陽は翳り、空が橙色に染まりかけていた。
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