聞かせたくない鼓動
百目鬼×四月一日/四月一日女体化
嗚呼、陸に上がつてしまつてゐる。
可哀相に。
君尋、水に戻して差し上げよふね。
ほら、御行きなさひ。
早くしなゐと、逝つてしまふよ。
ぱしやりと水が跳ね、幼子を濡らす。
父が云ふ。
善ひ事をしたね。
だけれども、気をつけなさひ。
これ以上、情をやつてはゐけなひよ
これ以上、覚えてゐてはゐけなひよ。
君は、可愛らしひのだから。
異形の輩には、美味しひ餌なのだから。
忘れなさひ。
さもなゐと。
とつて喰はれるか、攫ゑて嫁入りし給ふよ。
聞かせたくない鼓動
四月一日は自身の手がびっしょりと濡れているのを感じていた。起き抜けに、布団の中でどうしてこんなにも手が湿っているのだろうと思うと、原因は汗しかないと思われる。汗しかないと思いたいのだ。世の中に不思議なことはあってはならないと信じていたい人種だからだ。これが、手だけではなく部屋中が水に浸かりでもしていれば、ああ、またかと思ってしまうだろうが、朝っぱらから奇奇怪怪な事象に怯えたくはない。
「ああ……今日は、シフォンケーキ……作ろうと、思ってたんだっけ……」
ひまわりちゃんが紅茶入りのケーキは美味しいよねと可愛らしい笑顔を浮かべていたのを思い出す。四月一日としては彼女のことは純粋に可愛い女の人だと思っていた。それ以上何かがあるということはないだろう。
「美味しく……作らなきゃ、な……」
百目鬼が小さい頃に女の子のようにして育てられたように、四月一日は男の子として育てられた。それが誤りであると気付いたところで、四月一日本人にはどうすることも出来なかった。親を亡くしてからは、四月一日はことさら男として振舞った。親戚筋の蔑むような視線やら卑猥な目付きを子どもながらに酷く嫌悪し、これならば奇怪な妖怪共に囲まれながら独りで暮らした方がいくらかマシだと理解したからだ。そのためには、四月一日という少女は男であり続けなければならなかった。
「あふ……ねむ……」
幸いなことにか、不幸なことにか、四月一日の胸周りは貧弱といっていいほどに細い。男のような筋肉の張りはなく、女のような脂肪の固まりもなく、まるでぎざぎざスポンジのようだ。どこもかしこも細く、薄っぺらく、そして目が悪い。
「ていうか変な夢……昔のこと、だったのかな……」
またアヤカシの仕業か、遙さんあたりか、それともただ単に四月一日の記憶の再生か。まるで壊れたフィルムでモノクロ映画を見ているかのような不鮮明な映像は、頭の中を気味悪く駆け巡ってそして唐突に消え去った。そして、何かを水に帰してやった感触と、掌に残る水滴。顔も善く思い出せない父親の、本当に父親だったのかどうかもわからないけれど、忠告するその言葉が耳に残る。餌か、嫁か、四月一日には選択権は無いのだと夢にいた大人の男は淡々と言い放っていた。芝居がかった科白は、何故だか懐かしくも空虚だった。途端、シンと静まり返った自分の家で無性に不安に襲われる。四月一日は殆ど膨らみのない胸元に手を置いて、とくん、とくん、と動くそれを確かめる。大丈夫、まだ動いている。
軽く伸びをして背筋を正すと、するりとパジャマを脱いでいく。汗ばんだそれを洗濯機に放り込んで、全自動のスイッチを押す。先日壊れて買い換える際、どうしてか百目鬼が無表情で付いてきて、あれこれ迷う四月一日にこれがいいと断言して無理矢理買わせたものだ。メーカーだの機能だの、そんなものはあの無愛想な男には通用しない。簡単に言えば、直感だそうだ。
「今日は、稲荷寿司がいいって言ってたよな……っは!いやいやなんであいつに流されなきゃなんねーんだ俺!しっかりしろ!」
独り相撲は部屋の中で孤独に響く。結局は彼の言うとおりにしてしまうのだろうなと敗北感を覚えながら、表情が無いくせに嬉しそうに黙々と食べる彼を思い浮かべて、四月一日はうんうん唸りながら制服に袖を通し、割烹着を身につけた。
何度作ったか覚えてもいないが、十八番である出汁巻き卵を重箱に詰め、少し覚ました後で蓋を閉める。やり遂げた表情で焼きあがったシフォンケーキを丁寧に包んで生クリームの容器が開いていないかを確認する。せっかく紅茶のシフォンケーキならばと、昨日学校帰りに買ったアールグレイの茶葉をミルで割いて入れ、水分を全て紅茶に置き換えてみた。更に奮発して手に入れた、燻製香と龍眼香の混ざった中国紅茶を再現したという、アールグレイ・グランドクラシックがポットの中で揺れている。勿論これはケーキ用、食事中に飲むための抹茶入玄米茶のポットも隣にある。
「これで、よし、と」
―――――美味しそうだね。
「……気の、せい……だよ、な……気のせい、うん、何も聞こえなかった……ことにしよう……」
何が美味しそうなのか、訊かなくてもわかる。四月一日君尋自身だ。全てをやり終えて満足そうに微笑んだ四月一日の弾んだ顔はみるみる萎み、せめて帰ってきてからはいませんようにと何に祈るでもなくお願いするでもなく心の中で唱えていた。
がっくりと項垂れて、学生鞄と大荷物を持った四月一日は、道のど真ん中で待ち構えていた男にぶつかりそうで、ぶつからなかった。
「遅い」
「な、何言ってんだ!つーかなんでお前に待たれなきゃなんねーんだよ!」
「稲荷寿司だろうな?」
「お、お前の言うことなんか聞くかバカ!」
精一杯の虚勢は所詮チワワかポメラニアンが凄んだほどの威力も無いのか、百目鬼は何の遠慮もなく手を出して四月一日の大荷物の方を奪った。
「あ、あ、あ、気をつけて持てよ!ひまわりちゃんのためのケーキが入ってんだからな!」
「稲荷寿司もな」
「入ってねーよ!」
「嘘つきだな」
うぬぬぬと可愛らしくもない唸り声を上げて、四月一日はさくさく歩いていく男の後ろを追った。横を通り過ぎていく野良犬、ぺちゃぺちゃとしゃべくる女子中学生、チリンチリンとベルを鳴らしながらシャーッと走り去る自転車、等間隔に聳え立つ電信柱、いつもがいつもどおりの日常で、変わり映えのしない道で、変わる筈の無い、いけ好かない男。
「早くしろ」
「お前が早すぎるんだって言ってんだろーが!」
荷物さえ持っていなければ四月一日の腕でも掴んで歩きそうな男は、彼が妙な動きをして怒り狂っているのを見ながら、それをふっと鼻で笑う。可愛らしいとか微笑ましいとか思っただけの笑みだろうに、表情筋の乏しい彼にかかれば、それは嘲り笑っているのに等しく見える。
「何笑ってんだよ!」
「何でもない」
「何でもないわけねーだろーが!」
「じゃあ、お前がおかしかったんだ」
「それも腹立つ!」
見慣れた校舎に近づいていく。細い足と長い足が歩いていくのは歩くというより、競歩に近い。隣でぎゃんぎゃん騒ぐ四月一日など放っておけば良いのに、百目鬼はわざわざ教室まで荷物を運んでくれる。ちゃんとリクエストの稲荷寿司は入っているとはいえ、少しばかりそこまでしなくてもいいのにと思う。大袈裟に言えば良心の呵責が咎めるのだが、好意でしてくれることに文句をつけても仕方がない。
「ここでいいな」
そろりと机の上に置かれたそれは、作った本人が持つよりも安全にかつ無事に運ばれたことだろう。そっぽを向いた四月一日は、教室から出て行こうとする百目鬼の後ろから声をかけた。
「昼、遅れずに来いよ。じゃねーと稲荷、食っちまうからな」
「ああ」
やっぱりとも言わず、わかっていたことだとニヤリと笑った百目鬼は、四月一日の視線を背に感じることなく教室を後にした。それらを見届けていたひまわりは、外行き用の笑顔で机の前で立ち止まった。
「おはよう、四月一日君」
「おはよう、ひまわりちゃーん!」
「今日も大荷物だね。いつもご飯作ってもらってありがとう」
「いいんだよー!今日はいいもの作ってきたから一緒に食べようね!」
嬉しいなとにっこり微笑むひまわりは、このときばかりは自分が本心で嬉しいと思っていることを分かっていた。最近、四月一日といると、自然と笑えるのだ。そんなこと知りもしないし考えもしないだろう四月一日は、唯唯ひまわりに喜んでもらおうと大仰な身振り手振りで話し続けていた。
「……でね、すっごく厳選したんだよ。勿論、保冷剤を入れて痛まないようにしてあるし、形が崩れないようにするのが一番大変だったかも。あ、でも一番手間がかかったのがあいつの稲荷寿司だってのは腹立つけど」
「ちゃんと作ってあげたんだね」
「一応リクエストされた物は作る主義だし」
「だから、百目鬼君もいつも四月一日君にこれが食べたいって言うんだね。自分が食べたいものを美味しく作ってくれるって、とっても嬉しいことだもん。私も嬉しいな」
「そ、そうかな……」
百目鬼が云々の部分は四月一日が耳を右から左に受け流してしまっていることだろう。ひまわりが嬉しい、という箇所だけを純粋に喜ぶと、机の中から手早く教科書を取り出した。チャイムは未だだが教師の気配がするのだ。それより何より、その教師にひっついている有象無象、どちらかといえば無象に近いのだろう、四月一日にしか見えない不可解な生き物の尻尾のようなものが窓から見えたのだ。
「ひまわりちゃん、先生来るよ」
「うん、ありがと」
ひまわりは何も訊かなかった。礼を言ってするりと席に戻って教科書を取り出す。ざわついていた教室内は、教師の一喝によって静まり返り、そしてがさがさと授業に必要なものを取り出す音だけがした。昔気質な教師は持参したチョークを取り出して神経質そうに漢字を書き連ねていく。古典の授業はいつも気まずい雰囲気で始まるのだ。
肩に乗った無象のアヤカシがケケケと気味の悪い声で笑ったような気がした。四月一日はそれを無視して授業を真剣に聞いているふりをした。アヤカシはつまらなさそうにぷいっとそっぽを向いて黙り込んだようだった。
本当は、少しだけ百目鬼のことを考えていた。
2
2008年5月再録本予定
可哀相に。
君尋、水に戻して差し上げよふね。
ほら、御行きなさひ。
早くしなゐと、逝つてしまふよ。
ぱしやりと水が跳ね、幼子を濡らす。
父が云ふ。
善ひ事をしたね。
だけれども、気をつけなさひ。
これ以上、情をやつてはゐけなひよ
これ以上、覚えてゐてはゐけなひよ。
君は、可愛らしひのだから。
異形の輩には、美味しひ餌なのだから。
忘れなさひ。
さもなゐと。
とつて喰はれるか、攫ゑて嫁入りし給ふよ。
聞かせたくない鼓動
四月一日は自身の手がびっしょりと濡れているのを感じていた。起き抜けに、布団の中でどうしてこんなにも手が湿っているのだろうと思うと、原因は汗しかないと思われる。汗しかないと思いたいのだ。世の中に不思議なことはあってはならないと信じていたい人種だからだ。これが、手だけではなく部屋中が水に浸かりでもしていれば、ああ、またかと思ってしまうだろうが、朝っぱらから奇奇怪怪な事象に怯えたくはない。
「ああ……今日は、シフォンケーキ……作ろうと、思ってたんだっけ……」
ひまわりちゃんが紅茶入りのケーキは美味しいよねと可愛らしい笑顔を浮かべていたのを思い出す。四月一日としては彼女のことは純粋に可愛い女の人だと思っていた。それ以上何かがあるということはないだろう。
「美味しく……作らなきゃ、な……」
百目鬼が小さい頃に女の子のようにして育てられたように、四月一日は男の子として育てられた。それが誤りであると気付いたところで、四月一日本人にはどうすることも出来なかった。親を亡くしてからは、四月一日はことさら男として振舞った。親戚筋の蔑むような視線やら卑猥な目付きを子どもながらに酷く嫌悪し、これならば奇怪な妖怪共に囲まれながら独りで暮らした方がいくらかマシだと理解したからだ。そのためには、四月一日という少女は男であり続けなければならなかった。
「あふ……ねむ……」
幸いなことにか、不幸なことにか、四月一日の胸周りは貧弱といっていいほどに細い。男のような筋肉の張りはなく、女のような脂肪の固まりもなく、まるでぎざぎざスポンジのようだ。どこもかしこも細く、薄っぺらく、そして目が悪い。
「ていうか変な夢……昔のこと、だったのかな……」
またアヤカシの仕業か、遙さんあたりか、それともただ単に四月一日の記憶の再生か。まるで壊れたフィルムでモノクロ映画を見ているかのような不鮮明な映像は、頭の中を気味悪く駆け巡ってそして唐突に消え去った。そして、何かを水に帰してやった感触と、掌に残る水滴。顔も善く思い出せない父親の、本当に父親だったのかどうかもわからないけれど、忠告するその言葉が耳に残る。餌か、嫁か、四月一日には選択権は無いのだと夢にいた大人の男は淡々と言い放っていた。芝居がかった科白は、何故だか懐かしくも空虚だった。途端、シンと静まり返った自分の家で無性に不安に襲われる。四月一日は殆ど膨らみのない胸元に手を置いて、とくん、とくん、と動くそれを確かめる。大丈夫、まだ動いている。
軽く伸びをして背筋を正すと、するりとパジャマを脱いでいく。汗ばんだそれを洗濯機に放り込んで、全自動のスイッチを押す。先日壊れて買い換える際、どうしてか百目鬼が無表情で付いてきて、あれこれ迷う四月一日にこれがいいと断言して無理矢理買わせたものだ。メーカーだの機能だの、そんなものはあの無愛想な男には通用しない。簡単に言えば、直感だそうだ。
「今日は、稲荷寿司がいいって言ってたよな……っは!いやいやなんであいつに流されなきゃなんねーんだ俺!しっかりしろ!」
独り相撲は部屋の中で孤独に響く。結局は彼の言うとおりにしてしまうのだろうなと敗北感を覚えながら、表情が無いくせに嬉しそうに黙々と食べる彼を思い浮かべて、四月一日はうんうん唸りながら制服に袖を通し、割烹着を身につけた。
何度作ったか覚えてもいないが、十八番である出汁巻き卵を重箱に詰め、少し覚ました後で蓋を閉める。やり遂げた表情で焼きあがったシフォンケーキを丁寧に包んで生クリームの容器が開いていないかを確認する。せっかく紅茶のシフォンケーキならばと、昨日学校帰りに買ったアールグレイの茶葉をミルで割いて入れ、水分を全て紅茶に置き換えてみた。更に奮発して手に入れた、燻製香と龍眼香の混ざった中国紅茶を再現したという、アールグレイ・グランドクラシックがポットの中で揺れている。勿論これはケーキ用、食事中に飲むための抹茶入玄米茶のポットも隣にある。
「これで、よし、と」
―――――美味しそうだね。
「……気の、せい……だよ、な……気のせい、うん、何も聞こえなかった……ことにしよう……」
何が美味しそうなのか、訊かなくてもわかる。四月一日君尋自身だ。全てをやり終えて満足そうに微笑んだ四月一日の弾んだ顔はみるみる萎み、せめて帰ってきてからはいませんようにと何に祈るでもなくお願いするでもなく心の中で唱えていた。
がっくりと項垂れて、学生鞄と大荷物を持った四月一日は、道のど真ん中で待ち構えていた男にぶつかりそうで、ぶつからなかった。
「遅い」
「な、何言ってんだ!つーかなんでお前に待たれなきゃなんねーんだよ!」
「稲荷寿司だろうな?」
「お、お前の言うことなんか聞くかバカ!」
精一杯の虚勢は所詮チワワかポメラニアンが凄んだほどの威力も無いのか、百目鬼は何の遠慮もなく手を出して四月一日の大荷物の方を奪った。
「あ、あ、あ、気をつけて持てよ!ひまわりちゃんのためのケーキが入ってんだからな!」
「稲荷寿司もな」
「入ってねーよ!」
「嘘つきだな」
うぬぬぬと可愛らしくもない唸り声を上げて、四月一日はさくさく歩いていく男の後ろを追った。横を通り過ぎていく野良犬、ぺちゃぺちゃとしゃべくる女子中学生、チリンチリンとベルを鳴らしながらシャーッと走り去る自転車、等間隔に聳え立つ電信柱、いつもがいつもどおりの日常で、変わり映えのしない道で、変わる筈の無い、いけ好かない男。
「早くしろ」
「お前が早すぎるんだって言ってんだろーが!」
荷物さえ持っていなければ四月一日の腕でも掴んで歩きそうな男は、彼が妙な動きをして怒り狂っているのを見ながら、それをふっと鼻で笑う。可愛らしいとか微笑ましいとか思っただけの笑みだろうに、表情筋の乏しい彼にかかれば、それは嘲り笑っているのに等しく見える。
「何笑ってんだよ!」
「何でもない」
「何でもないわけねーだろーが!」
「じゃあ、お前がおかしかったんだ」
「それも腹立つ!」
見慣れた校舎に近づいていく。細い足と長い足が歩いていくのは歩くというより、競歩に近い。隣でぎゃんぎゃん騒ぐ四月一日など放っておけば良いのに、百目鬼はわざわざ教室まで荷物を運んでくれる。ちゃんとリクエストの稲荷寿司は入っているとはいえ、少しばかりそこまでしなくてもいいのにと思う。大袈裟に言えば良心の呵責が咎めるのだが、好意でしてくれることに文句をつけても仕方がない。
「ここでいいな」
そろりと机の上に置かれたそれは、作った本人が持つよりも安全にかつ無事に運ばれたことだろう。そっぽを向いた四月一日は、教室から出て行こうとする百目鬼の後ろから声をかけた。
「昼、遅れずに来いよ。じゃねーと稲荷、食っちまうからな」
「ああ」
やっぱりとも言わず、わかっていたことだとニヤリと笑った百目鬼は、四月一日の視線を背に感じることなく教室を後にした。それらを見届けていたひまわりは、外行き用の笑顔で机の前で立ち止まった。
「おはよう、四月一日君」
「おはよう、ひまわりちゃーん!」
「今日も大荷物だね。いつもご飯作ってもらってありがとう」
「いいんだよー!今日はいいもの作ってきたから一緒に食べようね!」
嬉しいなとにっこり微笑むひまわりは、このときばかりは自分が本心で嬉しいと思っていることを分かっていた。最近、四月一日といると、自然と笑えるのだ。そんなこと知りもしないし考えもしないだろう四月一日は、唯唯ひまわりに喜んでもらおうと大仰な身振り手振りで話し続けていた。
「……でね、すっごく厳選したんだよ。勿論、保冷剤を入れて痛まないようにしてあるし、形が崩れないようにするのが一番大変だったかも。あ、でも一番手間がかかったのがあいつの稲荷寿司だってのは腹立つけど」
「ちゃんと作ってあげたんだね」
「一応リクエストされた物は作る主義だし」
「だから、百目鬼君もいつも四月一日君にこれが食べたいって言うんだね。自分が食べたいものを美味しく作ってくれるって、とっても嬉しいことだもん。私も嬉しいな」
「そ、そうかな……」
百目鬼が云々の部分は四月一日が耳を右から左に受け流してしまっていることだろう。ひまわりが嬉しい、という箇所だけを純粋に喜ぶと、机の中から手早く教科書を取り出した。チャイムは未だだが教師の気配がするのだ。それより何より、その教師にひっついている有象無象、どちらかといえば無象に近いのだろう、四月一日にしか見えない不可解な生き物の尻尾のようなものが窓から見えたのだ。
「ひまわりちゃん、先生来るよ」
「うん、ありがと」
ひまわりは何も訊かなかった。礼を言ってするりと席に戻って教科書を取り出す。ざわついていた教室内は、教師の一喝によって静まり返り、そしてがさがさと授業に必要なものを取り出す音だけがした。昔気質な教師は持参したチョークを取り出して神経質そうに漢字を書き連ねていく。古典の授業はいつも気まずい雰囲気で始まるのだ。
肩に乗った無象のアヤカシがケケケと気味の悪い声で笑ったような気がした。四月一日はそれを無視して授業を真剣に聞いているふりをした。アヤカシはつまらなさそうにぷいっとそっぽを向いて黙り込んだようだった。
本当は、少しだけ百目鬼のことを考えていた。
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