聞かせたくない鼓動
百目鬼×四月一日/四月一日女体化
「ああ、美味しかったーただ作るだけじゃなくて、お酒用に味を微調整できるのが四月一日だからこそ、よねー」
「侑子さん、それ三本目……飲み過ぎですよ!」
「固いこと言わないのー百目鬼君もー」
「ありがとうございます」
「お前もしれっと飲むなー!」
煩いと呟いた百目鬼は、四月一日の手をはっしと捕らえて引き寄せると、喚く唇を塞いで含んだ酒を流し込む。
「んぐー!」
ついでに口腔も味わって口を離し、百目鬼は侑子にこれが答えだと視線を寄せる。
「三十点ってところね」
「ぷはっ……ど、どど百目鬼何しやがるんだ!」
ぐいっと手で顔を押しのける四月一日に構わず、百目鬼は侑子の辛口な点数に戸惑う。宿題は後に残したくないタイプなので、さっさと済ませてしまいたいという気持ちも多々あるが、百目鬼の四月一日に対する感情を軽く見られているというのも一因かもしれない。
「これだけでは足りないという意味ですか?」
「本質的に理解できていないのよ。ここから先は言えないわ」
「……そうですか……」
「何の話だ!何の!」
百目鬼の耳を抓るように引っ張って直接怒鳴る四月一日の身体は、簡単にねじ伏せられて床に横たわる。弓道で鍛えられた腕で肩を押さえ込まれれば、起き上がることは不可能だ。驚いてヒュッと吸い上げた息を追いかけるように百目鬼の唇が重なる。酒の香りがつんと鼻を突いているのに、アルコール以外の何かに酔ったような気がする。流し込まれた唾液を四月一日が嚥下すると、酒粕に砂糖で味を調えた甘酒よりも甘く蕩けるように感じられた。
「ふ、ぅ……んん……」
くらりと目の前が揺らめいたところで、四月一日の視界に優しく微笑んだ侑子が入る。
「百目鬼君、まだ時が満ちていないのよ。気持ちは分かったけど、今じゃないわ」
すぅと離れると唾液が唇と唇を伝ってどろりと流れ落ちる。四月一日の口の端から零れ落ちたそれを、百目鬼の指が掬って口に戻す。指を突っ込まれて僅かに呻いた四月一日は、侑子の視線から隠れるようにそっと目を閉じた。
「続きは、家でやりなさいな」
こくりと頷いた百目鬼は、まだ目を瞑って現実逃避を続ける四月一日を見下ろし、咥えさせている指を抜いて、代わりに唇をそっと下ろした。だから家でやりなさいという言葉は、三回くらい無視された。
―――――君は、可愛らしひのだから。
ああ、夢だと断定できないのが恐ろしい。モノクロームの映像は、やけに鮮明なくせに肝心な部分は曖昧で、それでも昨夜よりは現実に近しいような気がするのだ。だが、温かな繭に守られているような感触を覚えるのは、ここは魔女の住処だからだろうか、それとも。
―――――とつて喰はれるか、攫ゑて嫁入りし給ふよ。
隣に、否、隣どころではなく密着するように抱きしめる男のせいだと、四月一日は守られていた理由を一瞬にして悟った。結局酔い潰れて眠り込んだ四月一日を抱える百目鬼は、酔って眠ったにしては腹立たしいほどにいい男だ。なにせ、四月一日の身体に自らの上着を脱いで被せて、その上から抱きしめているのだ。百目鬼の上から毛布をかけてくれたのは侑子だろうが、それがなくても四月一日は風邪を引かなかったに違いない。
「学校……は休みか……朝ご飯、作らねーと……」
少し身体を起こして、そこで四月一日の動きが完全にフリーズした。四月一日だけ、昨日の学校で倒れたときのようにぐっしょりと濡れているのだ。口に入った水滴は、塩辛い。懐かしいような胸が痛くなるような潮の香り、郷愁に駆られるような、心臓が狂ってしまったような音を立てる。治まれ治まれ治まれ治まれと唱えて顔を上げる、すると今度は百目鬼の顔。今度は心臓が止まってしまいそうな痛みを感じる。治まれ治まれ治まれ治まれと唱えて目を瞑る。
「風呂……入ろう……」
掛けられた上着のおかげで、百目鬼が濡れている様子はない。そっと腕の中から抜け出して、ぺたりぺたりと濡れた足跡を残しながら風呂場へ向かう。少し明るくなりかけたくらいの早朝に侑子が起きているはずもないため、風呂を借りるのは事後承諾で構わないだろうと一人ごちる。冷えた身体に熱い湯をかけ塩水を洗い流すと、じわじわと溜まっていく湯船に腰を下ろす。湯の量が増えるにつれ身体は温まっていくのに、どこか違和感を感じてしまう。頭の中に記憶が上書きされてしまったかのように、夢の中の言葉が脳裏を過ぎる。
「……俺は……」
―――――攫ゑて嫁入りし給ふよ。
耳の後ろから囁かれたような気がして、四月一日はざばりと立ち上がる。このまま浸かっているのは良くないような気がして、温まっていないのを承知でバスタオルを手に取った。着替えを忘れていたことに気付き、仕方なく侑子のバスローブを拝借する。
早く侑子か百目鬼の傍に行かないといけないような気がして、妙に心が急いている。長年アヤカシを見続けた勘とでも言おうか、非常に拙い予感がする。ぱたぱたと板張りの床を走り、ふと窓の外を見る。
「あんなところに、池なんかあったっけ……」
急いでいたはずなのに足が止まり、その場に尻餅をついた。四月一日にしか見えない無数の手が、彼女を下に引っ張っていく。
「嫌だ……」
抗おうにも喉が詰まり、息ができず、冷え切った身体も動かない。ちょうど手洗い場に行こうとしていた百目鬼が、座り込んだままの四月一日を目にするものの、彼には何も見えないため、何も感じることもない。
「どうした?」
「ど……め、き……たす、け……」
「四月一日?」
首を傾げる百目鬼が四月一日に向かって一歩だけ足を進めると、廊下の反対側から現れた侑子が険しい顔をして叫んだ。
「四月一日の手を掴みなさい!」
背を押されたように百目鬼の身体が傾いで四月一日の身体を捕まえようとするが、一瞬遅かったようで、四月一日のいた場所には大量の水が残されていた。それは、潮の香りがした。
「……ッ!わた、ぬき……」
「やられたわ……遅かれ早かれこうなると思って呼んだのに……ここの結界に挑んでくるとは思わなかった」
「侑子さん……四月一日はどこに行ったんですか?」
「ヒトでは辿り着けない場所」
水溜りとなったそれを侑子の手が掬う。指の隙間から雫が落ち、潮の香りが強く漂った。
「ただし、これは種の保存としては正当なる行為。私が勝手に手出しするわけにはいかないわ」
「どういう意味ですか?」
「百目鬼君、私に頼みなさい。本当に四月一日を取り戻したいと願うならば、代償と引換にその願いを叶えることができる。勿論、貴方がすべきことはそれだけではないけれど」
「何を払えばいいんですか?」
躊躇いなく侑子に代償の中身を訊いた百目鬼は、四月一日を掴み損ねた手をギリッと握り締めた。
「貴方の未来の可能性。これから先、四月一日以外の人に心を奪われる可能性もあるかもしれない。その不確かな関係性を全て断ち切ってもらうわ。種の繁栄のために四月一日を欲した存在から奪い返すためには、彼以上に四月一日を欲しているのだと言えなければおかしいでしょう?」
侑子の細められた瞳を見て、百目鬼は少し安堵の表情を浮かべる。
「それは、四月一日一筋でいろということですか」
「そう、四月一日以外に心が動くことは無くなる。誰に出会っても、四月一日だけしか、想えない。たとえ四月一日が百目鬼君をなんとも想っていなくても、貴方は四月一日しか想えない」
「それだけですか?」
「それだけよ。ただし、四月一日のいる所に連れて行ってあげるだけ。取り戻すのは自分でしてちょうだい」
代償が軽いのではと思いながら、侑子の言葉にこくりと頷いた。今だって四月一日だけを想っているのだ、彼女を想い続けることしか元々百目鬼の将来設計には含まれていない。だから、それが代償というのも妙な話だと思えてしまう。
「ここに、帰るときはどうすれば?」
「……心配しなくても、ちゃんとつれて帰ってあげるわ」
四月一日が帰りたいと願えば、と囁いた侑子の言葉を最後に二人の姿は掻き消えた。廊下には水溜りしか残されていなかった。
5
2008年5月再録本予定
「侑子さん、それ三本目……飲み過ぎですよ!」
「固いこと言わないのー百目鬼君もー」
「ありがとうございます」
「お前もしれっと飲むなー!」
煩いと呟いた百目鬼は、四月一日の手をはっしと捕らえて引き寄せると、喚く唇を塞いで含んだ酒を流し込む。
「んぐー!」
ついでに口腔も味わって口を離し、百目鬼は侑子にこれが答えだと視線を寄せる。
「三十点ってところね」
「ぷはっ……ど、どど百目鬼何しやがるんだ!」
ぐいっと手で顔を押しのける四月一日に構わず、百目鬼は侑子の辛口な点数に戸惑う。宿題は後に残したくないタイプなので、さっさと済ませてしまいたいという気持ちも多々あるが、百目鬼の四月一日に対する感情を軽く見られているというのも一因かもしれない。
「これだけでは足りないという意味ですか?」
「本質的に理解できていないのよ。ここから先は言えないわ」
「……そうですか……」
「何の話だ!何の!」
百目鬼の耳を抓るように引っ張って直接怒鳴る四月一日の身体は、簡単にねじ伏せられて床に横たわる。弓道で鍛えられた腕で肩を押さえ込まれれば、起き上がることは不可能だ。驚いてヒュッと吸い上げた息を追いかけるように百目鬼の唇が重なる。酒の香りがつんと鼻を突いているのに、アルコール以外の何かに酔ったような気がする。流し込まれた唾液を四月一日が嚥下すると、酒粕に砂糖で味を調えた甘酒よりも甘く蕩けるように感じられた。
「ふ、ぅ……んん……」
くらりと目の前が揺らめいたところで、四月一日の視界に優しく微笑んだ侑子が入る。
「百目鬼君、まだ時が満ちていないのよ。気持ちは分かったけど、今じゃないわ」
すぅと離れると唾液が唇と唇を伝ってどろりと流れ落ちる。四月一日の口の端から零れ落ちたそれを、百目鬼の指が掬って口に戻す。指を突っ込まれて僅かに呻いた四月一日は、侑子の視線から隠れるようにそっと目を閉じた。
「続きは、家でやりなさいな」
こくりと頷いた百目鬼は、まだ目を瞑って現実逃避を続ける四月一日を見下ろし、咥えさせている指を抜いて、代わりに唇をそっと下ろした。だから家でやりなさいという言葉は、三回くらい無視された。
―――――君は、可愛らしひのだから。
ああ、夢だと断定できないのが恐ろしい。モノクロームの映像は、やけに鮮明なくせに肝心な部分は曖昧で、それでも昨夜よりは現実に近しいような気がするのだ。だが、温かな繭に守られているような感触を覚えるのは、ここは魔女の住処だからだろうか、それとも。
―――――とつて喰はれるか、攫ゑて嫁入りし給ふよ。
隣に、否、隣どころではなく密着するように抱きしめる男のせいだと、四月一日は守られていた理由を一瞬にして悟った。結局酔い潰れて眠り込んだ四月一日を抱える百目鬼は、酔って眠ったにしては腹立たしいほどにいい男だ。なにせ、四月一日の身体に自らの上着を脱いで被せて、その上から抱きしめているのだ。百目鬼の上から毛布をかけてくれたのは侑子だろうが、それがなくても四月一日は風邪を引かなかったに違いない。
「学校……は休みか……朝ご飯、作らねーと……」
少し身体を起こして、そこで四月一日の動きが完全にフリーズした。四月一日だけ、昨日の学校で倒れたときのようにぐっしょりと濡れているのだ。口に入った水滴は、塩辛い。懐かしいような胸が痛くなるような潮の香り、郷愁に駆られるような、心臓が狂ってしまったような音を立てる。治まれ治まれ治まれ治まれと唱えて顔を上げる、すると今度は百目鬼の顔。今度は心臓が止まってしまいそうな痛みを感じる。治まれ治まれ治まれ治まれと唱えて目を瞑る。
「風呂……入ろう……」
掛けられた上着のおかげで、百目鬼が濡れている様子はない。そっと腕の中から抜け出して、ぺたりぺたりと濡れた足跡を残しながら風呂場へ向かう。少し明るくなりかけたくらいの早朝に侑子が起きているはずもないため、風呂を借りるのは事後承諾で構わないだろうと一人ごちる。冷えた身体に熱い湯をかけ塩水を洗い流すと、じわじわと溜まっていく湯船に腰を下ろす。湯の量が増えるにつれ身体は温まっていくのに、どこか違和感を感じてしまう。頭の中に記憶が上書きされてしまったかのように、夢の中の言葉が脳裏を過ぎる。
「……俺は……」
―――――攫ゑて嫁入りし給ふよ。
耳の後ろから囁かれたような気がして、四月一日はざばりと立ち上がる。このまま浸かっているのは良くないような気がして、温まっていないのを承知でバスタオルを手に取った。着替えを忘れていたことに気付き、仕方なく侑子のバスローブを拝借する。
早く侑子か百目鬼の傍に行かないといけないような気がして、妙に心が急いている。長年アヤカシを見続けた勘とでも言おうか、非常に拙い予感がする。ぱたぱたと板張りの床を走り、ふと窓の外を見る。
「あんなところに、池なんかあったっけ……」
急いでいたはずなのに足が止まり、その場に尻餅をついた。四月一日にしか見えない無数の手が、彼女を下に引っ張っていく。
「嫌だ……」
抗おうにも喉が詰まり、息ができず、冷え切った身体も動かない。ちょうど手洗い場に行こうとしていた百目鬼が、座り込んだままの四月一日を目にするものの、彼には何も見えないため、何も感じることもない。
「どうした?」
「ど……め、き……たす、け……」
「四月一日?」
首を傾げる百目鬼が四月一日に向かって一歩だけ足を進めると、廊下の反対側から現れた侑子が険しい顔をして叫んだ。
「四月一日の手を掴みなさい!」
背を押されたように百目鬼の身体が傾いで四月一日の身体を捕まえようとするが、一瞬遅かったようで、四月一日のいた場所には大量の水が残されていた。それは、潮の香りがした。
「……ッ!わた、ぬき……」
「やられたわ……遅かれ早かれこうなると思って呼んだのに……ここの結界に挑んでくるとは思わなかった」
「侑子さん……四月一日はどこに行ったんですか?」
「ヒトでは辿り着けない場所」
水溜りとなったそれを侑子の手が掬う。指の隙間から雫が落ち、潮の香りが強く漂った。
「ただし、これは種の保存としては正当なる行為。私が勝手に手出しするわけにはいかないわ」
「どういう意味ですか?」
「百目鬼君、私に頼みなさい。本当に四月一日を取り戻したいと願うならば、代償と引換にその願いを叶えることができる。勿論、貴方がすべきことはそれだけではないけれど」
「何を払えばいいんですか?」
躊躇いなく侑子に代償の中身を訊いた百目鬼は、四月一日を掴み損ねた手をギリッと握り締めた。
「貴方の未来の可能性。これから先、四月一日以外の人に心を奪われる可能性もあるかもしれない。その不確かな関係性を全て断ち切ってもらうわ。種の繁栄のために四月一日を欲した存在から奪い返すためには、彼以上に四月一日を欲しているのだと言えなければおかしいでしょう?」
侑子の細められた瞳を見て、百目鬼は少し安堵の表情を浮かべる。
「それは、四月一日一筋でいろということですか」
「そう、四月一日以外に心が動くことは無くなる。誰に出会っても、四月一日だけしか、想えない。たとえ四月一日が百目鬼君をなんとも想っていなくても、貴方は四月一日しか想えない」
「それだけですか?」
「それだけよ。ただし、四月一日のいる所に連れて行ってあげるだけ。取り戻すのは自分でしてちょうだい」
代償が軽いのではと思いながら、侑子の言葉にこくりと頷いた。今だって四月一日だけを想っているのだ、彼女を想い続けることしか元々百目鬼の将来設計には含まれていない。だから、それが代償というのも妙な話だと思えてしまう。
「ここに、帰るときはどうすれば?」
「……心配しなくても、ちゃんとつれて帰ってあげるわ」
四月一日が帰りたいと願えば、と囁いた侑子の言葉を最後に二人の姿は掻き消えた。廊下には水溜りしか残されていなかった。
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