裏山の猫又

黒鋼×ファイ

 真ん丸お月様、見て跳ねるのは兎。
 真ん丸お月様、待っているのは山の猫。


裏山の猫又 1


「化け物……ってえらく曖昧だな」
 雇われ坊主に派遣坊主で閻魔を恐れぬ破壊僧とは、よくぞ自分を表していると一応自覚している。黒鋼は恐れ戦いている村人を出来るだけ刺激しないようにとは言われていたが、それは無理な話だと溜息をついた。己のこの面構えに直すことの出来ない口の悪さ、態度の悪さは折り紙付き。
 村で一番大きい屋敷なのだろうが、都の方から来た黒鋼にとっては厩も同然な粗末な家の縁側で、振舞われた地酒を煽っていた。
「う、嘘じゃねーです、ほ、ほんまに人もおッ死んでて、お坊さんになんとかしてもらわんにゃあ、わ、わしら生きていけんです」
「別に嘘だとは思ってねーよ。それより、どんな化け物なのか特徴だけでも言ってくれ。属性がわからねーとどう対処していいものかこっちも困る」
「ととととくちょうだとかぞ、ぞくせいだとかわかんねーだけんど、化け物は真っ黒い姿で人を食うんだべさ」
「食う?」
「ち、ちがうだよ、おとッつぁん。変な術みてぇなもん使ぉて動けなくするんだぁ」
 年老いた村長夫妻は酷く訛りのある言葉で、村人から聞いたことをそのまま伝える。しかしながらそれも要領を得ず、黒鋼が化け物を特定するに値する情報ではない。
「う、裏山の徳さんは、腸おッぴろげられてたんだべ!やっぱり化け物は人さ食うだ!」
「だから違うさね!綺麗な娘ッこの姿で動けんくして、気がついたら山の入り口におん戻ってるだよ。持ってた地酒も盗られてたんだぁ!」
 だんだん話が迷走し始め夫婦喧嘩の様相を呈してきていた。剃髪していない坊主、修験道と言った方が近いかもしれないが、黒くツンツンと立った髪をガシガシと掻き混ぜて、面倒臭そうに話に水を差した。
「で、そいつはどこにでやがるんだ?」
「う、裏山ですだ」
「山?」
「そうですだ。すぐ近くのあそこです」
 漸く夫婦の見解は一致したようで、同じ方向を指差した。緑が濃く、昼でも陽が差しそうにないような木々に覆われた山は、成程どんな怪が出てもおかしくはないかもしれない。
「何人殺された?」
「十二人ですだ。都のお方からしたらちょっぽりかもしらんけど、小さな村では大変なこっですだ。年寄りも童も関係ねく殺されてッだよ。うちの、一人娘も……」
「わかった。人死にに多いも少ねーも関係ねーよ。正体がつかめんが、とりあえずは行ってみる」
「あ、ありがとうごぜぇますだお坊さん!ただ、わしら、その……」
 口篭る老人を一瞥して、黒鋼は坊主のくせに錫杖ではなく刀を取り出し、そこにある文様を見せた。
「天照の御印を持つ者は、貧乏人から金を取ったりしねぇ。覚えておけ」
「へ、へぇ……ま、まことで……」
「金をせびる奴等は、力もねぇくせに大口叩くだけだ。騙されるな」
 感極まって土下座をする二人を放置し、面倒臭そうに尻をガリガリと引っ掻き、黒鋼は黒衣を翻して山の方へと歩いて行った。この村に着くまでに結構な時間を使ってしまったので、もはや陽は落ち山に入る頃にはとっぷりと暮れていた。しかしながら、その方が好都合だと、黒鋼は赤い瞳を細めて真っ暗闇を歩き続ける。しかし、真ん丸い月が空には昇っている。
 天照というのは、寺社仏閣の頂点に立つ組織だ。人の世の平穏を守る組織であり、宗派流派に問わず猛者がそこには揃っているのだ。全てと言う訳ではないが、天照の眷属の者は皆暗闇だといえど気配を感じ取れるように訓練されている。彼は、妖怪退治専門の、いわば戦闘の玄人だ。否、天照の頂点に立つといってもいい。だからといって金剛夜叉明王だの臨兵闘者だの唱えるわけではない。ただ、彼の持つ退魔刀でぶった切るだけだ。その彼が辺鄙な山村にわざわざやってきたのは、彼が鬼やら怪やらなんか比べ物にならないほどに恐れる少女に言われたことと、天照の手の者が幾人かこの付近で姿を消しているということと、そして、地酒が旨いということからだ。
「……ったく、なんだってこんな面倒なこと……」
 木の根があちこちに張り出し、灯りがあったとしても歩きにくいことこの上ない獣道をすいすい歩く黒鋼は、徐に立ち止まると刀の柄に手を掛け、闇の先から間合いを取った。
「出てこいよ、化け物」
「……酷いなぁ……化け物って言われると、なんか存在全てが否定されてるような気がするんだよねー」
 おおよそ化け物とは思えないような愛らしい声が響き、間延びしたようなそのしゃべりは黒鋼の神経を逆撫でする。
「化け物は化け物だろ。さっさと姿を見せやがれ」
 すらりと抜いた刀は美しく銀色に光り、ほんの少しだけ木漏れた月の光を反射する。そして黒鋼にかけられた守護印は、怪を退ける。もっとも、彼自身は守護印だとは知らず単なる呪いだと思っているようだった。
「わぁ、綺麗な刀だねー血の曇りが少しも無いもの」
「もうすぐお前もこれの錆になるんだよ」
「ならないよぅ」
「ほざけ」
 一拍の間を置いて、黒鋼は声の主に切りかかった。しかしその塊はひょいと刀の切っ先を避け、ひらりと跳ぶと指の先から人魂のような青白い光を発した。
「妖術か!」
 その光は黒鋼の足元に纏わり付いて、彼の動きを封じ込める。
「こうして動けなくして食うのか!」
「はぁ?食べないよぅ人なんて。ただ、帰って欲しいだけー」
「何言って……」
 するりと近づいてきた怪は、青白い光に包まれた黒鋼をにっこりと見やる。灯りがあって初めて声の主の姿が露になった。太陽の光を束ねたような金の髪に、空の青さをそのまま固めたような瞳に、ひょこんと頭に付いた猫の耳、そして安物とは思えない羽織を着た怪は、黒鋼が見てきたどんな女性や怪より美しく華奢だった。ただ、細っこい首には布が何重にも巻かれていた。
「じゃあね、もうこないでね」
「ふざけんっ……」



 気がつけば、ちゅんちゅんと鳥が鳴き、陽の光が黒鋼の頬を照らす。がばりと起き上がると、目の前には栗鼠がいて、黒鋼と目が合うとそそくさと逃げていった。
「んな……馬鹿な……」
 ―――――綺麗な娘が動けなくして山の入り口に戻す。
「ババァの方の言ったとおりか……」
 村長夫妻の妻の方の証言が正しかったのだと黒鋼は身を持って知った。しかし、夫の方が嘘をついているとは到底思えない。それに何より、黒鋼自身、天照の坊主が妖怪に気をやられて山から追い出されたなどという滑稽なことを、許しておくわけにはいかない。彼の自尊心にも関わることだ。そして、哀れみからか情けからか、どちらも彼の嫌うものだが、彼の身体には高価そうな羽織が被せられていた。
「……あの、やろう……」
 ギッと奥歯を噛み締めると、羽織を抱え、奪われることなく鞘に仕舞われただけの刀を引っ掴んで、再び山の中に入って行った。朝靄が漂い、少し気温が低い。この羽織がなければ黒鋼といえど風邪を引いていたかもしれないと、あの猫娘の情けを想う。
「なんだってこんなもん……」
「だって、風邪引いちゃうでしょ。でも流石お坊さんだね。結界張ってるのにここまで戻ってこれるんだもん」
 ざざ、と木の枝にぶら下がって逆さまに頭を突き出した怪は、黒鋼の顔を真っ直ぐ見れるところまでずるりと垂れ下がると、目を合わせてにんまりと笑った。
「てめぇ!」
「ねーお腹空いてない?」
「……はぁ?」
「オレは空いちゃったー用意するから一緒に食べようよー。いつも一人で寂しいんだよぅ」
「おい、この……」
 またあの妙な術を使われるのかと警戒した黒鋼を見て、娘はぽかんとしてひらりと地に下り、そしてケタケタと笑った。
「あははー何もしないって。ほら、早く、こっち」
 パシッと掴まれた腕はそう強い力でもないのに、黒鋼は何故か抵抗できなかった。朝靄の中の娘が愛らしかったせいかもしれない。導かれた先は、小さなお堂。中に入ると更に小さな炊事場がある。
「今用意するからねー」
「なんだってんだ……」
 用意をするというより、すでに作り終えていたものを器に盛っている。鍋の蓋を開けると美味しそうな味噌汁の匂い、熱くなった釜の中には炊き立ての白米、そして焼き魚がやけに大目に皿に乗っている。気がつけば、こぽこぽと湯飲みに注がれた爽やかな緑茶の香りが鼻を擽っていた。箸置きは小さな猫の焼き物、浅漬けだが漬物まで小皿に添えられていて、貧する村で用意できるような食事ではない。
「はい、召し上がれー」
「なんか化してんじゃねーだろーな。食ったはいいが泥水やら土団子とかだったら承知しねーぞ」
「そんなことしないよぅ。オレだって食べるのに」
「はぁ?」
「いただきまーす」
 言うが早いか、よっぽど腹を空かせていたのか、娘は耳をピンと立て、嬉しそうに白米を箸で掬って食べた。箸の持ち方を知らないらしく、箸で摘むというより掬うといった感じだ。呆れた黒鋼は手を伸ばして、箸を持つ娘の手を握る。
「にゃ?」
「持ち方が違ぇよ。こうだ」
「ほぇ……あー凄い!使い易い」
「それで食え」
 最初は苦戦していたようだが、物分りがいいのかひょいひょい摘んで食べ始める。魚の身を毟るのすらもしかしたら黒鋼よりも速いかもしれない。それにしても、朝っぱらから怪と飯を食う坊主というのも妙な構図だと思いつつ、黒鋼はやけに美味しい味噌汁を啜った。
「ごちそうさまでしたぁ」
「……旨かった」
「本当?良かったー」
 明るくなって気付いたが、猫耳だけでなく着物の後ろの方から長い尻尾も見えている。それが感情に合わせてぴょこぴょこ動いているのがやけに可愛らしい。本物の猫がいれば、それにじゃれつきたくなりそうなほどだろう。
「それよりだな、なんで昨日、俺を山から追い出したんだ?」
「それはねー……あの人に、近づけたくなかったの」
「あの人?」
「九尾のお狐様」
 啜っていた茶をぶふぉっと吹き出してしまい、娘が慌てたように手拭いで黒鋼の顔を拭う。優美な手付きはそれだけで男の劣情を誘うのだが、この猫は気付いていないようだった。ゲホゲホと咳き込んで、娘に向かって怒鳴る。
「なんだって、そんな大物がこんなところにいるんだよ!というより、どうしてお前がそれを知っていて、無事でいられる?」
「オレは、その人に拾ってもらった異国のにゃんこなんだー。月日に年月が経ち過ぎて猫又になっちゃったったんだけど、ここで静かに暮らしてた。でも、アシュラ様……お狐様が一昨年からおかしくなっちゃって、人を襲うようになったんだ」
 昨年、黒鋼も難儀した魔の襲来があり、その余波が瘴気となって各地に散らばってしまったと上役から伝え聞いていた。そのため、各地に眠っていた魔のものが起きだし、人に猛威を振るっているのだ。
「それでねー新月の夜以外はオレが何とかできるんだけど、月が出ていない日はどうしても止められなくって……」
「それで話に食い違いがあったわけか」
 村長夫妻は伝え聞いた別々の化け物を必死に伝えようとしていたのだ。人を食らう化け物、人を助けようとする化け物娘。しゅんと項垂れる娘は、耳も尻尾もへちょりとして、哀れを誘う。
「一つ、確かめたいことがある」
「なーにー?」
 黒鋼はすっと手を伸ばして、娘の尻尾をくいっと引っつかんだ。
「にゃぁぁぁ!にゃにす……ふにゃ……」
「やっぱりな。猫又は尻尾掴まれると弱いって聞いてたんだが……おい、おい!」
「ふにゃぁん……酷いよう……」
 くねくねと蠢いたせいか、着物が少し着崩れている。細い身体のくせに豊満な胸元が、男の欲望にはぴったり合致したが、着物とは違和感を起こしていた。
「お前、名前はあるのか?」
「んにゃ?あるよーファイっていうの」
「異国の名前だな」
「黒様はー?」
「はぁ?」
 ぱっと手を離すと尻尾を隠すように身を退け、何故か耳を手で抑えて隠している。そこも弱点だと暴露しているのに気付いていない。
「黒い服着てるから黒様ー」
「俺の名は黒鋼だ!」
 妖怪に名前を名乗るなど、本来ならば絶対にしてはならぬことと定められていた。名前を言質に如何様な呪いなり何なりを受けるかわからないからだ。しかし、この娘、ファイならば黒鋼に災いを齎すこともなかろうと、真名を叫ぶ。正直に言えば、妙な名で呼ばれるのが気に入らなかっただけなのだろう。深い考えなどありはしない。
「黒様でいいんだー」
「よかねぇよ!」
 勝手に妙な名を付けられてしまった黒鋼は、お仕置きとばかりに再び尻尾をぎゅっと引っ掴んだ。艶かしいファイの鳴き声がしたが、大分慣れてきたようで黒鋼は少し楽しげだった。
「おい、今すぐに結界は解けるか?早々に奴を始末してやる」
「駄目だよー結界はもうオレの手を離れて山全体が礎になってるんだ。だって、俺がもし殺されちゃって結界がなくなったら困るでしょ?アシュラ様はここが気に入ってるみたいだから……」
「いつまで待ちゃぁいいんだ?」
「後半月、新月の夜まで、待って」
 少し寂しそうなファイは黒鋼にそう告げた。そうして羽織を持って、お堂の扉を開けようとする。ファイは何をしているのかと男を振り返ったが、黒鋼こそお前は何をやっているんだと娘を見据えた。
「村まで、送るよー」
「ここにいちゃいけねーのか」
「え……いてくれるの?」
「いちいち戻るのが面倒だ。冷えるから戸閉めろ」
 嬉しそうなファイは、コクコクと頷き、扉を閉めるのを忘れて黒鋼に抱きついた。黒鋼も、この柔らかな身体に満更ではなかった様だ。しかし、晩飯に地酒が出てきたところで黒鋼はまた、ファイの尻尾を引っ掴んだ。村人から地酒を掠め盗っていたのは、単に酒好きだったからのようだ。


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2007年11月ブログ掲載、2008年1月再録予定