黒鋼×ファイ
蔑んで哀れんでそして愛して 2
「ただいまー……ってあれ?」
記憶を辿って戻ってきた木々の間で、ファイはキョロキョロと辺りを見渡す。
「場所間違えてんじゃねーのか」
「そんなことないよう」
黒鋼の冷たい言葉にファイが機嫌を損ねたように言い返すと、頭上からはらりと木の葉が落ちてきた。
「黒鋼さん、ファイさん、上です」
サクラの囁くような声が降ってきて、小狼も続いて葉の間から顔を覗かせた。黒鋼とファイは先ほどの警備隊見習いがこちらまでやってきたのかとわかり、警戒を強めたが、小狼はサクラを伴って木からスタンと飛び下りた。
「すみません。人がきたので念の為に気配を隠していたんです。もう向こうに行ったので大丈夫だと思いますよ」
「そっかー。オレたちなんか弓矢で襲われちゃったもんねー。隠れて正解だよ」
大丈夫かと尋ねて飛び込んでくるモコナをファイの腕が受け止め、ぎゅっと抱きしめて大丈夫だと優しく話す。
「ひゅーんって矢が飛んできたから黒様に飛びついて避けたんだ。そしたら黒い影が熊かと思ってーって話ながら歩いて行ったよ」
「そっかー黒鋼は熊に間違えられたのかー」
「そうだよーモコナ」
「テメェら……」
モコナの無邪気な声とファイの無責任に同意する言葉と、その後ろで怒りを燃やす黒鋼にサクラも小狼も止めようかどうしようかと悩んでいたが、二人の持つ大きな荷物に気をとられて、宥める前にそれを尋ねた。
「これか?こっちは俺とお前の分だな」
「で、オレが持ってるほうがオレとサクラちゃんの分だよー」
どう見てもファイが持っているほうが大きく見えるのだが、どうやら大きさと重さは比例していないようだ。ファイが恭しい手つきで取り出したものはピンク色のふんわりとした可愛らしいドレスだった。首元まで布で覆われ、胸元には大きなリボンがあしらわれたそれは女性の体つきを見事に隠し切ってしまう。しかし、内側は女性のラインにぴったりとフィットするように作られていた。
「うわぁ、可愛い!」
「でしょー!モコナにもーほら!」
「ふわふわ!」
モコナもお着替えーとはしゃぐのを他所に、黒鋼は自身の荷物を空けて男性用の衣装を小狼に手渡した。各々茂みの影で着替えると、所謂中世欧州貴族の晩餐会といった格好で互いの前に立つ。木々の狭間で派手な格好をするというのは場にそぐわず些か恥ずかしさもこみ上げるが、街中を見てきたファイが選んだのだから、人に紛れれば気にならなくなることはわかっていた。黒鋼もひらひらとした服が気に食わないだけで、見た目については何も文句は言わないでいる。
「やっぱりサクラちゃん可愛い!オレが見立てたんだよー」
「モコナは?モコナもかわいい?」
「うん、可愛いよーふわふわしててぎゅってしたくなっちゃうよ」
「してしてー」
ファイがモコナを可愛い可愛いと愛でる傍で、サクラが小狼もかっこいいと小さく褒め、少年も少女の美しさを素直に口にする。黒鋼も小狼も、これから捕らえられた姫君を迎えに行く騎士の様な、王子の様な、男らしい格好をさせられていた。肩口で留められた外套には金の糸で刺繍が重ねられ、そよぐ風に靡いている。正装と戦装束を兼ねたような黒の衣服は、戦いを続けてきた二人には似合いすぎるほどだった。ただ、よく似た服ではあるが小狼のほうはまだ幼さを湛えていて、サクラと並べばまさに可愛らしく見える。だが、黒鋼は猛将がパーティーのために正装をしましたとでも言えそうな、勇壮さを前面に押し出していた。
小狼は宛がわれた衣装の意味を理解して、ファイを見、そのじゃれあう一人と一匹を見つめる一人に視線をやった。
「何だ小僧?」
「ファイさん、凄く綺麗ですね」
「俺やお前の分はテメェで一発で決めやがったくせに、服屋の野郎があれがいいだのこれがいいだのっつって、結局言われるままにしやがったんだ。これが安いからとか言ってな」
「はぁ……」
小狼は黒鋼の口ぶりで大体のことを悟っていた。ファイが着ているものはどう見積もっても安物でないことくらいは分かる。サクラと同じようなふんわりとしたドレスであるくせに、可愛らしさよりもスレンダーな身体が強調される仕様になっている。もちろん女性特有のラインは何重にも重ねられたレースで隠されているにもかかわらず、全身から匂い立つような美しさが隠しきれてはいなかった。薄布に隠されたがゆえに神秘性すら感じられる素肌を暴いてみたいと考えてしまうのは、男としての本能だろうか。
察するに、衣装を見立てた男性は、恐ろしく高価な美しい衣服を、ファイのためだけに安価だと嘘をついてまで差し出したのだ。その美しさを自らの手で飾りたいと言う欲求に抗えなかったに違いない。それを、黒鋼は全て承知の上なのだ。
いつの間にじゃれあうのをやめたのか、サクラの髪の毛はファイの手によって編みこまれ、豪奢な帽子が被せられている。ファイの髪の毛もアップになってヴェールに隠されていた、高貴な貴婦人のようなファイに黙ったまま微笑まれると、美麗な陶器の人形に命が宿ったみたいなのだ。青い青い澄んだ瞳に見つめられると、心の臓が鷲掴みにされたようで落ち着かなくなる。それは、黒鋼も同じなのだろうか、少年には分からなかった。
「……おい、そろそろ行くぞ」
黒鋼が苛々した様子で声を投げる。やはり、少年には黒鋼の苛つきの元はわからなかった。
「はぁーい」
「はぁーい」
ファイの口調をモコナが真似して愛らしさに拍車を掛ける。着ていた服はモコナが全て仕舞い込み、動き辛そうな服をした四人と一匹は、陽が真上に上り始めた頃街の入り口まで辿り着いた。
街の中に入ると先ほどまで感じていた違和感は少しもなくなった。皆彼らと同じように派手な衣装を物ともせずに着こなしているからだ。ここまでくるといつもの衣装の方が浮いてしまうことは間違いない。黒のブーツにヒールが石畳に当たって歩くたびにカツンカツンと大きな音を立てる。
「……ヒールって、歩きにくいね……」
「お前がそれでいいって言ったんじゃねーか」
「でもぉ……こんなにとは思わなかったんだもん」
険悪なムードが漂い始めたのを見て取って、小狼はサクラと頷きあって黒鋼に話しかけた。
「黒鋼さん。あの、一度どこかで食事をしませんか?何か聞けるかもしれないですし」
「……そうだな」
小狼はファイが密かにほっと胸を撫で下ろしていたのを見ていた。黒鋼とファイの位置が離れているせいかもしれないが、ほんの微かに血の匂いがするのだ。ファイの足元から。サクラがしぶる黒鋼を誘導してモコナがそれを揶揄する影で、小狼はファイの横にすっと寄り添い大丈夫かと問うた。
「足、大丈夫ですか?」
「……優しいね、小狼君は」
「そんなことないです。でも、血の匂いがしたから気になって」
「まだ大丈夫。でも、ありがとね」
ああ、また心臓がどくどくと言う。
少年は顔を赤らめはしなかったものの、脈拍が少し速くなったのを収めようと口を紡ぐ。ファイは不思議そうな顔でへにゃりと笑っていた。口調と態度は兎も角、貴婦人然としたファイはゆっくりとした歩みで開け放たれた扉を潜り抜けた。
するりと顔のヴェールを取ると、小さなざわめきが起こる。元々衣装が人目を引いていたのだ、その持ち主の顔がドレスに見合った美しさだからといって今更驚くことはないのにと小狼は思っていた。いや、驚かないはずがないかとも思う。こんなに美しい青の瞳はこの中には一人もいないのだから。
「ファイさんが凄く綺麗だから、みんなこっち見てますね」
「そんなことないよう。サクラちゃんが可愛いからだよー」 「モコナはモコナは?」
「モコナも綺麗だよー」
女の会話は嫌いだとぶすくれた顔で黒鋼はファイを見ていた。やはりこんな国に入るべきではなかったのだとも思う。元々人目を引く真っ白な魔法使いは、飾り立てれば飾り立てるほど魔性の魅力が際立つ。黒鋼は漆黒に身を包んだ自分も注目されているのだとは少しも気付かず、この四方八方から伸びてくる視線は全てファイのせいなのだと決め付けて一人腹立てていた。
適当に頼んだ本日のセットメニューは服が汚れない仕様とでも言えようか、大きさより見映え、質より見映えといったアーティスティックなものばかりだった。これが更に黒鋼の神経を逆なでする。
「こんな精進料理みてぇなもんで腹が膨れるかよ。こんなんだったら……」
「確かにねー……」
黒鋼は自らの科白を途中で止めた。こんなちまちました食事ならばファイが作った方がよっぽどいいと、続けようとして続けられなかった。不自然なところで止まった言葉を疑問視はされなかったようで、ファイも少し不満気な顔でフォークを手に取った。
「で、でも美味しいですよ」
「小狼君にもちょっと足りないんじゃないかなー」
「そう、ですね……」
足りない小さいと言いつつもとりあえず手は動く。しかしながら食後のデザートも最後の紅茶も、全て何もかも彼らには量が伴わなかった。
「食った気しねーな」
「だよねー」
文句だけはボロボロ漏れるものの、上品に食べ終わった彼らは改めて周りに視線をやった。少ない分量を更にナイフとフォークで細切れにし、その一つ一つをガムでも食べているかのように味わい、そしてまた小さな一口。黒鋼に言わせればもたもたしすぎる食べ方で、彼らは少ない食事に満足しているようだった。
「不満なのは、オレ達だけみたいだね」
「だからなんだ。こんなしみったれた量で満足できるかよ」
同じようなことを小狼もサクラも感じてはいたが、流石に彼らのように口に出すことは出来ず、微妙な面持ちで黙り込む。
「もう、行こうか。あんまり皆話もしていないみたいだし」
「こんな葬式みてーな店は好かねーしな」
ファイがテーブルに置かれた伝票を手に取り席を立とうとしたとき、少し蔑むような視線が黒鋼に走るのを感じ取った。浮かせかけた腰をそのままに、片手に持ったそれを両手に捧げ持ち、にっこりと笑って黒鋼に手渡した。
「なんだ?」
怪訝そうな顔つきでファイを見返した黒鋼は、陶器人形のような顔が少し悲しそうな表情を浮かべているのに気付き、黙り込んだ。支払や手続きなどの面倒ごとは、大抵引き受けるファイがこのように無言で押し付けるなど今までなかったからだ。
「受け取って、黒様。ここはね、フェミニストな場所なんだ。お願いだから、黒様がエスコートして」
小声で囁くファイに、黒鋼は罰の悪そうな顔で伝票を受け取り、真っ先に立ち上がるとファイに乱雑に手を伸ばした。ほっとした表情でファイは小狼をじっと見つめ、彼が気付いたところで黒鋼の腕に腕を絡ませて立ち上がる。小狼は心得ているとばかりにサクラに手を伸ばし、そっと立ち上がらせると二人の後を追った。
伝票を取ってあげた女性が男性のエスコートを受け、店を出る。ファイが気付かなければ黒鋼は蔑みの視線に突き刺され、風評が店の外にまで流れていたかもしれない。通りすがりとはいえ、旅の者が軽蔑に値するように思われたくなかったし、そう思わせたくなかった。最初入ってきたときは、黒鋼がサクラを、小狼がファイをエスコートしているように見えたのだろう、不遜な視線は受けなかった。
店を出てそのまま少し歩き、建物の影に入る。そこで漸く腕を離して大きく息をついた。
「怖かったねー……」
「なんだってんだ」
「女は男を立てて、男を飾る華となる。代わりに男は女を愛しむ。そういうところなんだよ。おそらくこの国の大半がそうなんだろうね。だから王様に関係なく女性は自分を飾り立てて美しく見せる。そして男性は女性優位に扱うんだ」
「ケッ……面倒臭ェ……」
黒鋼はガリガリと頭を掻いて心底嫌気がすると悪態をついた。彼の中で女性とは守るもの、気高いもの、美しく強いものであり、飾りたて愛でるなどとは彼の意識の範疇外だ。
「オレも、黒りんと同じような格好すればよかったね……」
ごめんねと謝るファイはヴェール越しに儚げに見え、それでも美しい。
「そっか、今からでも……」
「もういい」
「へ?」
「いいからそのままでいろ」
「いいの?」
ふいと余所を向く黒鋼はファイを直視することなく、不機嫌そうにその方が面倒だと言い放つ。仄かに嬉しそうにするファイの笑顔は、いつもへらへらと浮かべているものではなく本心からの笑みなのではないか。小狼とサクラは顔を見合わせて微笑み、そしてモコナが「まだお手てつないでるー」と揶揄する言葉にはっと気がついて手を離す。
「す、すみませんっ……」
「ご、ごめんなさい……」
「ひゅーひゅー二人とも顔真っ赤だぞー」
モコナが青い春真っ盛りの二人をからかう間、ファイはそっと黒鋼に近づくと彼らに聞こえないように囁いた。
「誰かが邪法を使ってる」
「なんだそれは?」
「呪いの魔術。誰かが街のいたるところに呪の言葉を書き付けてるんだ。魔法を知る人にしか判らない」
「魔法は知らねーっつってたじゃねーかあのジジイ」
ファイはふるふると首を横に振り、嘘だったのだと告白する。
「魔法のことを聞いたとき、目が泳いでたし、最後のおじさんの言葉覚えてる?」
「『気をつけろ』か」
「……さっき食事したお店の壁に、呪詩で『ここは来るべきところではない』って書いてあったんだ。誰宛てかは知らないけど。魔法はあるんだ。けれど、おおっぴらにしていいものではない……のかな」
「読める奴にしか読めない、か」
静かに指差す先にも薄い文字が描かれていると言う。しかし、黒鋼にはそれは単なる文様にしか映らず、ましてや意味あるものには思えない。
「ちなみに、『ここを通るな』だって。これ以上進むとオレもひっかかっちゃう」
「だが、外部の人間に宛てたものじゃねーな」
「そうだね。こんな所、普通ならこない」
眉間に皺を寄せてどうしたものかと口を噤んだとき、表の通りが急に騒がしくなった。耳を澄ますと皆、王が、王がお通りになる、と口々に叫んで跪き、帽子を脱ぎ、ヴェールを上げる。跪かないと不敬罪となると声を張り上げる者もおり、仕方なく四人と一匹は道の端で跪いた。不敬罪になるとの不穏の言葉を発しているのは王の巡回を先導する者だろう。しかし誰も嫌々ではなく、むしろ喜ばしい顔をして王が来るのを待っている。女性達はひそひそと小声で王の美麗さを口にし、王妃の座を射止めるのは誰だろうかと噂する。
「先代の王妃様の中には、巡回で王が一目惚れなさった方がいらしたわよね」
「第八王妃よね。でも、現王は一人しか王妃にしないっておっしゃってるんでしょ?選ばれたら大変なことよ!」
「私は第一貴族の二人の娘が最有力候補って聞いたわ?」
「姉妹で王を挟んで骨肉の争いだそうよ。王に選ばれるとも限らないのに」 「それでも二人とも大変な美人らしいわよ」
「服が、じゃないんですの?」
「それもそうですわね」
女達のおしゃべりは、誰かのわざとらしい咳で静かになったけれど、まだまだ話したりなさそうだった。苦虫を噛み潰したような表情で前を見やる黒鋼を、ファイはこっそりと盗み見てくつりと笑う。彼の脳内では、これだから女はとか、女は解らん、といったような理論が飛び交っているのだろう。理解不能だと顔に書いたような正直な彼が、ファイにはとても可愛らしく見えたのだ。
沢山の足音が響き、制服を着た男達が軍の行進のように整って歩いていく。その中程に一際豪華な衣服を身に纏い、整った顔立ちで歩く男がいる。彼は真っ直ぐ前を見ながらも、漏れ聞こえる王を呼ぶ声に手を上げて応えている。王が通り過ぎてしばらくすると、跪いていた人々は立ち上がり、興奮冷めやらぬといった顔で方々へ歩いて行った。
不思議そうな顔をしたファイはじっと王を見つめていた。否、王と呼ばれる男を見つめていた。そして首を傾げて腑に落ちないような声を上げる。
「んんー……なんか、変だよねー」
「何がだよ」
これまた不服そうな黒鋼は、ファイを振り返り低い声で声をかける。気に入らないことがあるなら早く言えと怒っているのか、あの整った顔つきの王に見蕩れているような目付きに腹が立つのか、どちらにしろ黒鋼の声はいつもにも増して凄みがある。
「王、ってあんなに無防備かな」
「誰も狙ったりなどしないんじゃないでしょうか」
小狼がファイの独り言に答える様に口を挟む。だが、ファイは納得できないようで美しい青の瞳を一度閉じて、そしてゆっくりと開いた。
「だって、あの人は何も見ていなかった。ただ、歩いているだけだった。黒たんはあの人に王様ですーって感じの気迫とか威圧感とか気配とか感じた?」
「……いいや」
「でしょ?オレもなんだ。なんか、変。あの人は……あ、れ?あの人は?」
「なんで最後が疑問系なんだよ。あの人はってお前が言いかけたんじゃねーか」
「違うよぅ。王様じゃなくってあの人、オレ達に矢を撃って来た人じゃない?同じ声がしたし、弓持ってるし」
じっと見つめる先には、まだ少年と言える子どもと、付き添う知性的な男性が話をしている。話の内容は聞き取れないが、どうやら少年が男性に怒り散らしているらしかった。
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